multiple

「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

multiple

第8話 夢を見た。

夢を見た。
「あっ、あれは友原くんだ。
口が臭いことで定評のある友原くんが廊下に落ちていたシャトルをラケットでひょいとすくいあげていた。が、すくうと同時にラケットからシャトルが滑り落ちてしまう。それもそのはず、彼の周りにはたくさんのシャトルが散らばっており、彼は一本のラケットでその全てを拾おうとしていた。だから新しく拾うたびに、すでに拾っていたものを落としてしまう……真剣な横顔を見つけて、そっと息をつく。どうしてそんな無意味なことに一生懸命になれるのか。私はぼんやりと友原くんを見送って、自教室に入る。
どこに座るかは決まっていないらしい。私の席にはすでに有紗が座っていたし、有紗の席にはナミちゃんが座っていたし、ナミちゃんの席には高橋が座っていた。喧騒をかき分けて、一人リバーシを楽しんでいる高橋の前に立つ。ちょうど角っこが取れたようだ。黒を、白に。確定石に。高橋は口笛を吹きながらひとつひとつを丁寧にひっくり返してゆく。
『ちょっと先輩。なんで二年の教室にいるんですか』
『二人零和有限確定完全情報ゲームであるリバーシが、なぜゲームとして成立するかわかるか?』
高橋は優雅に両手を組んで首を傾げた。口元は隠れているが、微かに嘲りを含んだ笑みを浮かべているのがすぐに分かった。
『選択肢が多すぎるからでしょう。人間の頭では一手一手の最善を処理することができない』
私の答えに高橋はうんともすんとも言わず、一人リバーシを再開しはじめた。呆然と立ち尽くす私の手をだれかが引っ張る。振り向けば有紗が私に向かってポーチを差し出していた。
『これ、落としてたけど』
『え、あ、ありがとう? ところで有紗。なんで私の席に座っていたの?』
『はあ? みゆちー、ちゃんと椅子の裏に名前を書いた?』
書いていなかったような気がする。そう答えれば、有紗はうんうんと何の感動もなしに頷いた。
『そりゃダメだわ。冷蔵庫の白菜と一緒。名前を書いていないってことはだれのものでもないってことだから、だれが使ってもいいワケよ』
『有紗の家は白菜に名前を書くの?』
当たり前でしょ! とぷりぷり怒った有紗はどすどす歩いて私の席にがっつり座って踏ん反りかえる。いつにも増して変な有紗だ。名前を書いた白菜なんか食べるからおかしくなったんだ。ぷりぷり返し。
有紗から受けとったポーチをあらゆる角度から観察する。赤と黒を基調にした、ダブルファスナー。裏、側面、表、どこにも私の名前は見当たらない。ファスナーのひとつを開けてみると中に白い柄のついた手鏡が入っていた。指で柄をつまんで検分すると、鏡面側の裏に私の名前が深く刻んである。なるほど、これは確かに私のものだとポーチに鏡をしまう。それからキョロキョロと教室内を見渡して、廊下側の一番奥の席が空いていることに気づいた。私はその席に腰を掛けて、ポーチを机の上に置く。
『大変なことになってしまったね、本山さん』
私の左隣には小畑くんが姿勢を正して座っていた。何がだろうと思っていると、彼はさらに続ける。
『いつの間におれたちはベルトコンベアにのせられていたんだろうね。それとも自ら運ばれるように願った結果がこれなのかな。だけど、どうせなら永遠に言わないでほしかった。一度ついた嘘を明かしてしまうのは優しいからではなく卑劣だからだよ……おれは本当に悔しい。だれだって怪物の餌食になるために生きてきたわけじゃないよ』
『怪物?』
廊下をだれかが走っていた。少なくとも私にはその音が聞こえた。廊下側の窓を開けて身を乗り出す形で音の主を探す——そこには私の見知った人がぜいぜいと息をついて立ち止まっていた。
すぐさま立ち上がって教室を出ようとしたところで、激しく腕を掴まれた。
『ミユちゃん。もうすぐ先生が来るけど』
富田くんは制服を着ていたが、あいかわらず風紀検査と無縁の長髪をしていた。私はなんとか腕を振りはらって親指を上向きに立てる。
『あのハゲ担任のことだよね。少しぐらい大丈夫だよ』
『舐めているようだけど、いくらあのハゲだってハゲじゃない時があったのさ。怪物にすべて食われてしまったようだけどね! それはそうとミユちゃん、ほら、ポーチ。置き去りにしてはだめだよ。それには君の名が刻まれていて、君にはそれに対する義務があるんだから』
怪物は髪を主食にしているのだろうか。なんとも経済的にやさしい生き物だなと思いつつ、私はポーチを持って教室を出る。友原くんは大量のシャトルとともに消えてしまったようだ。教室の窓から外側の窓に天井まで、ぴかぴかに磨かれた床に写り込んでいる。私はその滑りそうな床を一歩ずつ確かめながらに歩く。
上下ともに赤いジャージ、無精髭とずれた黒縁メガネがワイルドなおじさん——叔父さんが廊下の中心で俯いていた。私が叔父さんから二メートルほど開けて立ち止まった時、彼はゆっくり顔をあげた。
『人生をバズワードに奪われてしまったらおしまいだ』
どういう意味ですかと私は尋ねる。人生は奪えるものなのかと。叔父さんはさらに粛々と答えた。
『面白い洋画にクソみたいな邦題』
『はあ』
『大ヒットしたドラマの題名を洋画の邦題としてパロディするみたいな残酷さと、それは似ている』
私が首を傾げていると、叔父さんはさらに声を低めて続ける。
『ロングテールとシュシュ』
『卑近すぎる』
その通り、と叔父さんは私に近づいて肩を掴み、つよくつよく揺さぶった。
『俗物の怪物が私たちを殺しに来たのだ。今に見ろ。おまえの大切な人たちはみなあの怪物に殺されてしまうのだ』
その怪物の名がバズワードなのだろうか。私はぼんやりと叔父の顔を見ていた。眉間に深い苦悩が刻まれていた。
『おまえも可哀想に。俗物の怪物の餌食になるためだけに生まれてきたのだ。でも可哀想なのはおまえだけじゃない。ほとんどのやつがそうだ。でもみんなが可哀想だからって、自分の可哀想さが減衰するとは思わないことだな。むしろ少しずつ増えてゆくのだ。みんながみんながみんながそうであればあるほどにだ』
どうすればよいのですか、と私は聞いた。叔父さんは私の肩から手をそっと離した。波紋がやがて静まってゆくような、安らかな沈黙があった。
『俗物の怪物は鏡で己を知ると死んでしまう……俗物の怪物は俗物の怪物を心の底から殺したいほど憎んでいる。その一方で、だれかが鏡を差し伸べる瞬間がなければ、己が俗物の怪物であることを二度と知ることができないのだ』
それはちょうど良かったと私はポーチから手鏡を取り出し、叔父さんに鏡面を向けた。
叔父さんは死んでしまい、もう二度と生き返ることはなかった。

という夢を見たんだよ東間くん」
「うるせえ黙れ」