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「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

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第7話 天気の話をした。

天気の話をした。
ある晴れた朝のこと、私は隣人の存在に驚愕した。
「東間くん、いたんだ」
「バスの時からずっと隣にいただろうが! しかもオレが無視しているのにレン……角度で絵柄が変わる印刷技術についてねっとり語りやがって」
「レンチキュラーだよ、東間くん」
知らねえよ、と東間くんは無知を開き直って鞄から二冊の文庫本を取り出す。一冊は先ほどバスの中で読み終えていた本で、ヌメ革のブックカバーがついている。東間くんはたいへん手際よくヌメ革カバーをはぎとって、もう一冊の本にカバーを掛けなおし、裸にした方を鞄の中にざっくりとつっこんだ。そのまま新しい本を読み始めようとする東間くんにツッコむ。
「本の扱いが丁寧なのか雑なのか中途半端だね。まるで東間くんの存在みたい!」
机の脚をズンズンズンと小刻みに蹴られる。わあ、微妙にやり方を変えてきたぞ。微妙に。まるで東間くんの存在みたい!
「というかおまえさ。なんでオレの隣に座るわけ?」
「えっ、そこはハゲ担任に言ってよ。なんでそんなに髪が薄いんですかって」
「教室の座席の話じゃねえよ」
髪の薄さだって教室の座席には関係ないよ、と思いつつ私はこちらを睨みつける東間くんにぬるるっと顔を近づける。
「もしかしてまた『この女も上の口はこうだが下の口は正直だなガッハッハ』みたいなことを考えているんでしょ? ド変態だね」
「考えてねえよ。以前にも似たようなことを考えていたみたいな言い方をするな」
ド変態の部分は否定されなかったので、東間くんはド変態だったのかもしれない。
「朝のバスなんてどこにでも座れるだろ。なんでわざわざオレの隣なんだよ」
「まったく知らない人にいやがらせをしたらダメだよ」
「嫌がらせ目的なのかよ。嫌がらせは知っている人にやってもダメだろ」
「うーん。なんか東間くんに正論を言われるとすごくムカつく」
「なんでだよ」
ちなみにハゲ担任によると一年間この座席で固定するらしい。東間くんから顔を遠ざけて、時計を見る。なめらかに針が動く。
東間くんが本から売上スリップを取り除き机の上に置き、本を読み始める——前に私の視線が気になったらしい。こちらを向いた東間くんに、私から先制パンチ。
「盗品?」
「違えよバカ」
でも売上スリップって購入時に店員さんが抜くような。問えば東間くんが鼻で笑う。
「普通の書店じゃなくて、オンライン書店で購入しているから」
「ええっ。わざわざ?」
「書店に出向く方がわざわざだろ。売り切れてなきゃ確実に手に入るし、量が多くても配達してもらえれば重くないし。コンビニエンスストアに配達してもらって学校帰りにふらっと荷物を受け取ることもできる。とにかく最近のネットショッピングはすごいからな。配達地域によっては朝に注文した本がその日の夜に届く。だいたい書店の本なんて立ち読みするやつの手垢がついて汚いし。出版社がシュリンクしているならともかく、書店がシュリンクしている本は信用ならないし。といってもオンライン書店で取り寄せになった時は、ギャンブルだな。表紙が汚れたり角が潰れたりしている本が届く時もあるし、カバーのつやつやした新品が届くこともあるし……」
健全な男子高校生が扱うトピックとは思えない。私の幼馴染だってここまで通販通じゃないぞ多分とジトッとした目をすれば東間くんもむっと口ごもる。
「と、とにかく無駄足を踏むのが嫌なんだよ」
「なんだ。通販の段ボールで家でも作って籠城するのかと」
「引きこもり扱いするな」
だいたい最近は本数冊ぐらいだと段ボールじゃなくて郵便受けに入るような梱包をされて送られてくるんだぞと解説する東間くんに負けじと解説すれば定義上だと引きこもりは最低でも六か月以上家庭内に引きこもっていないと得られない称号であり、普通に通学および通勤をしている人は仮に天井を見るだけで休日を潰したとしても引きこもりには該当しない。やっぱり半端な東間くん!
「無駄足といってもだらだら歩くのもそれはそれで新しい発見があって楽しいんじゃないかな」
「投げやりだよな、おまえの、そういうの。本当はそんなこと微塵も思ってないだろ」
「どうだろ。本当かどうかは受け手が決めるから。仮に私が説明を尽くしたとしても本当を信じない人には、本当に本当だとしても本当だって伝わらないよね」
教室の窓は閉めきってあった。
もう冷房の入る季節だ。
「小畑がおまえと最近よく会うって——おまえのこと、すっごく前向きなやつだって言ってた」
衣替えも済まし、身も心も軽くなったようだ。ぐっと天井に向かってのびをする。
「そうだね。東間くんも小畑くんを見習ってちょっとは外に出たらどう?」
「引きこもり扱いするな」

夏。こんがりの季節。お弁当に入っている野菜が萎びれているザマーなサマー。冷房の奴隷と化した私たちは四つの机をくっつけてお弁当を食べていた。がやがやの中で、対面にいる有紗の熱っぽい声が響く。
「高校二年生だけど恋がしたい」
何か言いだしちゃったよ。
私の隣に座っていたナミちゃんが目をきらっきらに輝かせて有紗の方に身を乗り出す。
「相手はいるの?」
これから探す、と有紗は鼻息を荒くする。その隣で近藤さんがにやにやとしてどこかを見ていた。なんだなんだと視線の席を追って振り返るとそこには友達と談笑する後藤くんの姿が! なるほど、と思って再び前を向けば有紗が続けて。
「イケメンで高身長で声が低くて落ち着いていてダンディーな男と出会いたい」
と宣う。ほうほう、後藤くん。諦めろ。
「それってさ、小畑君の条件に当てはまってる感じ?」
涼しい顔をしていう近藤さん。後藤くんの味方はどこにもいないのか。有紗は口を尖らせて首をぬっと傾げる。
「えー、肌が黒いのはやだー」
「放送コードに引っかかりそうな発言はやめて」
アタシはモザイクでいいよと自身の胸を叩いて謎アピールしだす有紗。度重なる理不尽に耐えかねた私の頭が暴走し、箸のスピードが加速する。
「だけどありさちゃん。高スペックな男の人と付き合ったら、いろいろと大変そうだよう」
「なにそれ。姑問題とか遺産問題とか?」
「話が飛躍しすぎだよう〜」
有紗はけったけったと笑いながら、踏ん反り返る。
「いつも意識してんからね! 生徒手帳だっていつも持参してるし。ハンカチだっていつもポケットに入れてるし。いつでもお嫁にいける」
「や、や、や、そりゃ持参品が少なすぎるんじゃないかなっ」
「アタシが嫁に来ただけで国宝を贈与したものなんだから、むしろこっちに金を贈呈してくれないと」
有紗女王様の「フェッフェッフェッ」なるラフアウトラウドが教室の喧騒を盛り上げる。なんて笑い方だと呆然としてたところで、ナミちゃんがぽんっと手と手を合わせて私が幸せ。
「あ〜! 家庭科の授業でやらなかった? そういうのって送りつけ詐欺っていうんだよね〜!」
「ネガティブオプションだっけ」
「うん! 有紗ちゃん、送りつけ詐欺!」
なんだとっ、と有紗は隣にいる近藤さんの頬をつつきはじめた。近藤さんはぴたりと静止し、つつかれるたびにナミちゃんが「ぴゃっ」「ぴゃっ」と遠隔ダメージを食らったふりをする。うーん。みんな美少女でよかった。

思い出は連想ゲームのようなひらめきの形でひょんなことからやってくる。
かつて私には結婚を約束した人がいた。
一人は叔父さんで、もう一人は私の幼馴染である。小さいころ、重婚なんて知らなかった私は何人とでも結婚できると思っていた。だって公園で仲良くなった友見ちゃんが「私の家には連夜違う男の人が来るんだよ」って言っていたから——残酷について私はいつも後から気づく。
前から気付いていた残酷の戸を叩き、私は幼馴染の家にお邪魔した。
「やや、びっくりしたよ。配達屋さんかと思ったらミユちゃんだった」
「ここにも通販通が」
ツウハンツウ? と首をかしげる富田くんの後をついて階段を上がり部屋に入る。あいかわらず綺麗に掃除された床を歩いて、ベッド傍にある勉強机備え付けの椅子に座る。富田くんはベッドの方にどかっと座って、にししと笑った。
「富田くん、ちょっと背のびた?」
「あっ、分かっちゃう? いやあ、成長期だからねえ。きちんと睡眠も取ってるし、昼には外で走ってるし。当然の結果よねん」
それを聞くかぎりでは健康体そのものだし、顔色も悪くはなかった。運動しているわりにまだまだ細いけれど、全盛期よりはまだ肉がついている。私は机に頬杖をついて、にこにこする富田くんを見下ろす。
「そろそろ後ろ髪、切らないの?」
「うん。せっかくならどこまで伸ばせるか、試してみようかと思って! 引きこもりには風紀検査がないし?」
風紀検査はないだろうけれど、もっと恐ろしい未来があるのでは。たとえばハゲとか——私の顔を見て、富田くんがくすくす笑う。笑ってばっかりだ。いったいいつまで笑っていられるのやら。
「しかしミユちゃん、いっつも唐突にやってくるよね。気まぐれに暗黒成分供給したくなっちゃった? 別にそれでも俺は救われるからいいけど、ちょっと一報ぐらい入れてよ。きちんと掃除するからさ」
「十分に綺麗だけど」
またまたあ、と富田くんが笑う。ちらっと机の表面を見てみる。ぴっかぴかに磨かれて、机の上に置いてあるデスクトップPCの画面が反射している。キーボードにも埃ひとつたまっていない。有紗に部屋掃除とは何たるかを指導するための教材にしたいぐらいだ。
「きちんと夕食前には帰るから」
「そう? でも最近は夕食、俺一人で食べるし、というかミユちゃんの分まで作るけど」
「いつの間にそんなスキルが」
「まあねー、料理と筋トレは自信のない暇人にぴったりな趣味だし。今じゃネットでレシピなんていくらでも探せるからね。というわけでミユちゃん、ゆっくりしていいよ。なんなら毛布と抱き枕だすし」
「抱き枕ってえっちなやつでしょ」
「えっちなやつだけど」
先ほど凝視しないようにしていたデスクトップPCの画面に視線を向ける。恥じらった表情をしたつるぺた全裸猫耳少女のイラストを背景に、アイコンがいくつか並んでいる。男の子ってそんなに猫耳が好きなのかな。再び富田くんのほうに向き直り、ため息。
「そういう布製品ってわりと高いんじゃなかったっけ」
「そだねー、毛布は五千円ぐらいして、抱き枕カバーは一万円ぐらいするよ」
「カバーが?」
「カバーが」
バカがー。
心の中でつい悪態をつきながらも、深呼吸。
「べつに、いいよ! 寝ているうちによだれでもたらして汚しちゃったら悪いし」
「美少女を抱いてよだれを垂らすミユちゃんのいったいどこが悪いんだか! むしろ良い! いろいろと良いよ! もはや最善の域にある! ビバよだれ!」
とにかくすぐ帰るから、と言えば興奮していた富田くんがしゅんと俯く。左足で右足の靴下をぐにぐにと弄びながら。
「ちぇっ、そんなに急がなくたっていいじゃん。せっかく久しぶりに来てくれたのにさ」
「そんなに久しぶりって期間かな」
「少なくとも俺の背が伸びたことに驚くぐらいは久しぶり」
ぐうの音も出ない私に、富田くんが顔をあげた。笑顔のように、見える。軽い声で続ける。
「まあ仕方ないね。ミユちゃんと俺じゃ時間の重みが違うんだからさ。俺にとっては永遠みたいなことが、ミユちゃんにとっては一瞬で、とりとめがないことなのさ。まるで天気の話みたいに!」
「天気の話みたいに?」
「してもしなくても意味がない、ただの暇つぶし」
冷房とパソコンから聞こえる冷却装置の音が響いていた。それからだれかが歩いている足音、犬の鳴き声、虫の音、鳥の羽ばたく音が、あまりにもかすかな調子で聞こえた。
「意味がない、は言い過ぎかもしれないけどさ。たとえば手帳でも日記帳でもいいけど、ミユちゃんはきっと毎日たくさん書くことがあるよね。だけど俺はそうじゃないし。ミユちゃんがふらっとやってくるときぐらいしか、空白が埋まらない。わかる? この時間が俺にとっていかに尊いかってこと!」
「富田くんはデイリーよりマンスリー手帳を使った方がいいと思うな」
そういう話じゃないって、と富田くんは口をとがらせて、ばんばんとベッドの表面を片手で叩いた。
「ミユちゃん、隣に座ってよ」
「ええ、面倒だな。富田くんが私の隣に座ってよ」
「机の椅子は一つしかないって」
やれやれと私は富田くんが叩いてならした部分にちょこんと座る。すぐ隣に富田くんがいて、やっぱり背が高くなったなと視線の高さから考える。
「はあ、幼馴染の女の子と並んでベッドの上に座るなんてむちゃくちゃ青春だよね。俺がアレじゃなかったら既成事実が出来てますよ、マジで」
「青春っていうか性の春って感じだね。それは」
富田くんが笑いながら私の背中をばんばんと叩く。痛い痛いと叫びつつ、なんだか波長が有紗に似ているなとじとっとした視線を送る。
「ん、なになに?」
「私の友達と富田くんの気が合いそうだなあって。ちょっとした不思議」
「まーそういうもんなんじゃない? 知人関係ってわりと似たまとまりというかあ、同じ層の人でしか成り立たないし。超お金持ちと超貧乏人は、そもそも出会う機会がない。わかる?」
私が少し首を横にふると、富田くんは一瞬だけ視線を惑わせて、最終的にこちらを向いてまた笑った。
「超お金持ちと超貧乏人が会えるって本当に思う?」
「すごく貧乏人だと無理かもしれないけど、今はネットがあるでしょ。匿名の場においては、そういった出会いもありうるんじゃないかな」
「でもそのネットも広大なわけだよ。俺たちが視認できる世界以上に! で、その広大さの中でも確実に似たまとまりができる。あらゆる人が使っていたとしてもだ」
富田くんは私の耳に口を近づけて手で囁きを隠すように覆った。
「人々はトピックに対して集まり、共鳴する。ところがそのトピックについて論じるのに前提条件が存在する。庶民がゴルフや乗馬の話についていけるか。または上流階級の人間がファストフード店の良し悪しについて語ることができるか。引きこもりが学校生活の——とにかく話題によって人間関係が築き上げられてゆくんだよ。もっと端的にいえば現時点の価値観を形づくった状況が似通っている人たちだけが通じ合える……ねえ、ミユちゃんのその友達、すっごく可愛いでしょ」
頷いた私に富田くんは静かに顔を離して「だから」と続けた。
「似ているというのはそう不思議なことじゃなくてさ。友達の友達といると気まずいとはいうけど、たぶん耐えられないほどじゃない。ところが、現実には耐えられない関係が存在する。まるっきり話が合わない、互いに互いを宇宙人か化物かにしか見えない……これはひどい惨劇の現場だ。宇宙人や化物を切り刻んだって、人間様はちっとも痛くないからさ」
言い切ったあとでぜいぜいと富田くんは息を吐いた。おつかれさま、と私は富田くんの背中をぽんぽんと叩く。
「本当にミユちゃんが来てくれるの、助かるよ。一人でずっといるとさ、喋る機会がないから声が出なくなるし頭がうまく回らなくてさ」
「重すぎる」
「そう。俺のミユちゃんに対する逢いたさは切実なんだから、他の友達のことなんて考えないでよね」
そこに着地するのか、と愛想笑いをする私に富田くんが少し窺うようにしてぼそっと尋ねる。
「でも今日は本当に急だったね。なんかきっかけでもあった?」
「ああ、うん。友達と話していて引きこもりと結婚の話題が出たから、小さいころ富田くんと結婚の約束をしたなーって思い出して」
「トピックが飛躍しすぎでしょ」
と言った直後に富田くんは顔をがばっと両手で覆って、私から顔を背けた。どうしたどうしたと覗き込もうとすると、富田くんはそのまま上半身だけばたんと倒してベッドにうつぶせになる。そのままぴたりと動かなくなる富田くんに困った私は、さして意味はないという点で——ありとあらゆる人間に共通する最適なトピックを持ち出した。
「そういえば今日はすごく天気がいいよね!」
「ほんと、飛躍しすぎでしょ」
窓を見ると、外は暗くなっていた。