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「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

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第1話 クラスメイトとクレープ屋に行った。

拝啓、叔父殿。監獄に押し込められながら、見えない経緯で下される死刑のときを痛切に感じる季節がやってきました。つまり春です。
以前、あなたは私たちを産まれながらの死刑囚だと称しましたが、まったくその通りだと思います。もはや最近は死が生を先行して、うようよと漂い歩いているように見えます。いつか止むだろうだれかの笑顔が切なく見えます。何もかもがそんな死色模様に見えます。春です。
だというのに、万年死刑囚である私たちが健やかでいられるのは、その監獄があまりにも広く見えるのと、「ひょっとすると自分だけは脱獄できるかもしれない」という微かな希望があるからでしょう。

だけど――それはただの気休めだと思う。

外国に行くと価値観が一変するらしい。
しかしごく一般家庭に育つ現役女子高校生二年の五月と外国はあまりにも遠い。だいたい「価値観を変えたい」という謎の衝動によって外国に飛び立つなんて、その時点で常人の価値観ではない。その点、私は常人かつ常識人である。常識に従い、私は朝のバスを四本も早めることにした。
それは私の世界を変えるに十分なことであった。学校に向かうバスは十五分に一度やってくる。それを四本も早める。つまりはいつもより一時間前のバスに乗車する。一時間前に間に合わせるために、いつもより一時間前に起床する。早起きによって睡眠時間を削らないために、いつもより一時間は早く眠る……価値観どころの話ではない。なんとバスを四本早めることで私が真人間になってしまう! 外国に行くよりよっぽどお手軽だし、健康的だ。
そういうわけで、三度ほどの起床の失敗を経てようやく真人間への一歩を踏みだした木曜日。少し肌寒さを感じながらもお目当てのバスまで走り抜き、ギリギリに乗車した。息を切らしながらも車内を見渡してみれば、想像どおりがらんとしている。バス後方には私と同じ学校と思わしき男子生徒。前方には優先席の一つ後ろに腰をかけて少し踏ん反り返っている白髪のおばあさま。他、ひじをぽりぽりと掻きつづけている頭の寒そうなおじさん。なんともまあ、ダンベルで殴ったら死にそうな人たちばかりだ。私は特に人口密度の低い後方の席に向かった。
最も広い最後方の席、より一つ前に男子生徒が座っていた。壁に身体を預けて、開いた本をじっと眺めている。私はさっとその隣に腰を掛ける。バスが動き出す。彼は私を一瞥したが、そのまま本の方を見た。
「何の本なの? それ」
ヌメ革と思わしきブックカバーには、じつに柔らかそうで細かな傷とともに日に焼けて色のついた感じがあった。彼は本を注視したまま「文庫本」と答える。
「それは見たら分かるよ」
「本山さん、僕と話すために早起きしてきたの?」
何を言ってるんだこの人は。というか、何で名前を知っているんだろうかこの人は。疑いのまなざしをどう捉えたのだろう。ほんのり笑って。
「困っちゃうな」
と返したので、晴れた朝特有の爽快感も吹き飛び、私は露骨に顔をゆがめてみせた。
「自意識過剰ってやつだよ。というか、誰?」
こほこほ、バス前方にいるおじさんの乾いた咳が響く。男子生徒はこちらを見て口をぱくぱくとさせていた。
「あはは、も、本山さん。冗談キツイなあ。僕、君の同級生じゃないか」
私は思わずため息をつく。やれやれ。首を横にふる。
「同級生って何百人もいるんだよ。知らない人だっているよ」
「いや、そもそも同じクラスだし……」
「えっ」
すでに男子生徒は本を閉じて、座りながらにやや膝を私の方に向けていた。
「というか、隣の席、なんだけど」
「あ、あ……」
そういえば、隣の席に人がいたような。なぜか汗をたらしている男子生徒の精美な顔を分析する。この人、ええと。
「だれだっけ?」

クラス替えがあった。そして五月である。まだ大した行事もなく、クラスで一致団結する機会もない。さらには先日、席替えがあったばかり。そう考えてみると、私が隣人である東間清澄の存在を知らなくても無理がないはずだ。
「いや、ごめんね。東間くん。私、話すとしても女子とばかりだから、男子の名前はまだ覚えてなくて」
二人きりの教室。響きはいいけど、空気は重い。東間くんは、頬杖をついて机に置いたヌメ革カバーをじっと見つめている。
「あっ、でもそういえば友達が東間くんのこと話していた気がする。東間ってカッコいいよねーって。優しくて笑顔が素敵で、成績も優秀。しかも家が金持ちだって。それだけ聞くと少女漫画で顎を尖らせていそうな立体感のない男の子だね」
「そこまで話を聞いてて、なんで僕のことを知らないわけ?」
「だってさ。他人の語る他人の像って、もはや架空の人物と等しくない?」
ようやく東間くんはこちらを向いた。唇の片端をぴくぴくとひきつらせながら、微笑みを作っている。
「本山さんって面白い人だね」
「東間くんも相当面白いよ。女子は自分のことを気に掛けていて当然だと思い込んでいるナルシストだったなんて。はははっはあ……所詮は高校二年生らしい青さだよね!」
蹴られた。思いっきり椅子の足を。倒置法。私はぎくりとして椅子から立ち上がった。
「ひどい!」
「なんだよっ、高校二年生らしい青さって。同級生だろ」
「大丈夫大丈夫。その青さはブルーオーシャン級」
「死ね」
こう大して親しくもないクラスメイトに醜態をさらしつづける東間くんに捧げる「わーお」の感嘆もといウンザリ感。ここまでの変態ははじめてだ。
「価値観が一変するってこのことだったんだ……でもそもそも東間くんに興味がなかったから、一変するほど一変してないね」
「意味の分からないことを呟くな」
おそろしい形相をしてわめき立てる東間くん。やれやれ、これだから皮を被った歩くわいせつぶつは。
「分かったよ、東間くん。ちゃんと、今、認識したから」
「はあ?」
私は自分の席にどかっと座り直して、東間くんの方に指をつきつけた。
「顔はいいけど、偉そうで、口が悪くて、暴力的。それが東間くん」
「殺すぞ」
「ほら! 偉そうで口が悪くて暴力的!」
どん。東間くんは拳を作って自身の机を叩いた。かわいそうに。机にいったい何の罪があって、殴られなければならないんだろう。
「オレは顔が良くて優しくて頭も良くて金に余裕のある爽やか人間なんだよ」
「なんか自己紹介しはじめちゃったよ」
「自己紹介じゃなくて! そういう風に見られているんだって!」
首を傾げた。いつのまにか一人称がオレになっていることもそうだけれど、東間くんが何を言いたいのか分かりたくない。
「他人がどう、東間くんを見ているかなんて関係ないよ。私から見た東間くんは、ただの野蛮人」
つきつけた指をがしっと掴まれる。まるで摘ままれるようにぐぐぐぐぐと、指の圧を感じ——。
「痛い、地味に痛い! えげつないよ東間くん!」
「だれが野蛮人だクソ女」
「すぐ暴力をふるうところが野蛮だよ。理性的じゃないよ。痛いよ、痛いよう……東間くんのエッチ」
「どこにエロ要素があったんだ」
ぱっと指を離される。ふうふうと赤くなった指先に息を吹きかけて、東間くんのものと思わしき汗を机の脚の側面で拭う。
「東間くんって手汗すごいね。高校受験の時さ、手汗がひどいからハンカチを持ってきてもいいですかって人がいたけど、東間くんもそういうタイプ?」
「いいな。もうこれから話しかけるな」
「えっ。いいな、って何が? どこで交渉成立した気になったの? 私、東間くんと違ってエスパーじゃないから脳内で完結されても困っちゃうな」
「本山ァ」
「東間ァ」
睨み合っているうちに、扉の開く音がする。扉の方を向く前に、東間くんが姿勢を正して本を読む体勢に移行するのが見えた。
「わっ、みゆちー早いじゃん。おはよう」
「おはーっ。今日から革命をはじめてみました」
何それ、と柏野有紗が笑いながら教室に入ってくる。教室の前から二番目にある私に対して有紗は教室の最後方に席がある。自身の席にゆく途中で、有紗は私の席の前で少し減速して。
「東間もおはよ」
と声を掛ける。ちらりと横目で確認してみれば、東間くんは有紗の方を見ながら柔らかく微笑んでいた。
「うん。おはよ」
そしてふと、目が合う。
東間くんはべっと舌を出して、また本を読み始めた。
男子高校生が舌を出して恥ずかしくないのだろうか? ぼんやりと考えながら東間くんから目を逸らした。

「やっぱりやっぱり? 東間くんってカッコいいよねー」
中庭の丸テーブル。元気のよい風で、ナミちゃんの弁当袋が飛んでゆく。東間くんなんかを褒めた罰だろう。弁当袋をもってぜいぜいと戻ってきたナミちゃんの左隣にて有紗が頷く。
「あれは良い男だね。この学校に来たときは、どいつもこいつもって感じだったけど。探せばいるもんだ」
探したんじゃなくて、同じクラスになっただけじゃん。唐揚げで口を塞いで黙っておく。私の左隣で近藤さんがパンから口を離して。
「秋永くんもカッコいいと思うけどなあ」
と呟く。するとナミちゃんが「おおっ」と前のめりになり、無事に弁当袋が吹き飛ばされた。拾い上げにいくナミちゃんを放って、有紗はペットボトルの蓋を開けながら。
「まさにスポーツマンって感じよね。鍛え上げられた身体が痺れる感じ」
草まみれになった弁当袋を抱えて無事に帰還したナミちゃんも、大袈裟に首をぶんぶんと縦に振る。
「イケてるよね~。他クラスの女の子にね、クラス写真を頼まれちゃったよ。秋永くんの写真が欲しいからってさ」
「へえ、熱いね~」
これ、性別が逆だったらむちゃくちゃ悪い噂になっているな。黙っていたからか、もう弁当を平らげてしまった。いつものように適度に頷きながら弁当の包みをしまう。
「こういう恋話って楽しいよねえ」
「うん」
「超青春って感じする」
「うん」
「みゆちーは好きな人いるの?」
「うん」
「えっ、誰?」
「えっ、何?」
気づくと三人の熱い視線に囲まれている。あれだな、自分のお気に入りの男子を言え的なノリだな。女子って本当に恋話が好きなんだから。結婚したらどうするとか子どもは何人ほしいとか新婚旅行はどこ行きたいとか共働きか専業主婦かってまだまだ私たちは女子高校生なのになぜ未来に生き急ぐんだろう? もっとするべき話があるんじゃないか? 担任教師の髪がちょっと薄いこととか。
「えー、うー、あー。好きとか気になるとかいうわけじゃないけど、小畑くんとかカッコいいよね~」
「えーーーー」
「ハアーーーー」
「おーーーん?」
そして出たよこれ! 出たよこの反応!
「小畑ってあれでしょ。東間くんにくっついてるやつ」
「えっ。東間くんと小畑くんって付き合ってたの?」
「その発想はおかしいよ~」
「いや、本山さんのアイディアは案外悪くないよ」
「あんたは何を言っているんだ」
なぜか近藤さんに親指でグッジョブを与えられる。何だろう。近藤さんのイケない扉を叩いてしまった気がする。
「えっ。小畑くんってそんなダメ? 見た目はすごくカッコいいよ」
「まあ背は高いけど」
「ちょっと色黒で色男だけど」
「ほらほら」
でもなあ、ナミちゃんが首を傾げる。
「なんか性格が暗いよねえ」
「分かる。暗いし性格が男らしくない」
「えっ。女々しいの?」
「私的には東間君が雌で小畑君が雄って感じかなあ」
近藤さんの話は置いといて、何だろう。確かに自分も小畑くんについて印象がないけれど、顔が良いのにここまで評判が悪いとは。私の視線に疑問を見出したのだろう。ふっ、と有紗が軽く笑う。
「ビジュアルも大事だけどね。男は中身としても男じゃなきゃ駄目なんだよ。小畑は確かにさ……見た目はイケてる。でも小畑はさあ! もしも災害が起きたら真っ先に逃げるタイプでしょ」
「災害に一人で立ち向かってもしょうがなくない?」
「だーかーらー、女を置いて逃げる性質だってこと!」
確かに東間くんの友人とあれば、ろくでもない性格は気がするけれど。気になっておずおずと確かめる。
「ちなみに、根拠は?」
「女の勘!」
やれやれ、肩をすくめる。やっぱり、こんな話より担任教師の髪の話が有意義だよ。

「おい。今日、日直だよな」
うわあ、出たよハゲェ。
昼休み終了後、教室。授業にやってきた担任教師が私に何かを差し出す。見覚えはある。日替わりで今日クラス内であったことを記すアレだ。
「朝から渡してくださいよ」
「言われる前から気づいてやるのができる社会人ってもんだ」
「まだ女子高校生なんですけど」
鼻で笑われる。ハゲのくせになんて生意気なんだろう。
「黒板、小畑が消してたぞ」
「えっ」
そういえば小畑くんは私と同じ日直……いやいや、日直なんて日誌を書いて黒板を消すだけの役割である。一日一人で十分に足りるだろう。つまるところ——。
「じゃ、今日は小畑くんが日直だと思います」
「違うわー! 小畑はおまえの代わりにやっとるんじゃー!」
「あの、おれが何ですか?」
うおっ、とハゲは情けない声をあげて振り向く。手を洗ってきたらしい。質素なハンカチを畳んでしまいながら、小畑くんが近づいてくる。
「何かあの……おれ、しました?」
「いあー、そのー、本山が日直なところを小畑が黒板を消してくれているってな」
小畑くんと目があう。そして、すぐそらされた。
「別に。黒板を綺麗にするのは好きですし。綺麗になっている方が、次の授業も気持ちよく受けられるじゃないですか」
「分かる。頭なんかもそうだよね。下手に散らかされるとこっちが集中できないもん」
「おい、本山。本山」
近くで殺気を感じつつ、小畑くんの前に出る。
「代わりに消してくれてありがと」
あわあわと唇を動かしたあと、小畑くんは「別に」と呟いて自分の席にずこずこと戻っていった。

放課後。急いで部活に向かおうとする秋永くんに挨拶を返す。爽やかな笑顔で去っていく秋永くんに、いつのまにか私の傍にいた有紗がうっとりと呟く。
「カッコいいわあ。何を食べたらあんなに爽やかになれるの?」
「うーん。ミント味の何かが主食なんじゃない?」
「草食系男子か。でも確かに秋永って浮いた話がないな。あんなにカッコいいのに」
サッカー部のレギュラーじゃ恋愛する暇がないんだろう。おそらく部活を引退した三年の夏から『部活で勉強ちょっと遅れちゃってさ。教えてよ』なんて女の子を口説きまわって放課後ハーレムを作るだろうから大した問題じゃない。
「というか有紗って秋永くん狙いだったっけ?」
「別にだれも狙ってないって! だけどカッコいいものを見ていると、ちょっとテンションあがんない?」
有紗の顔を見る。気持ちは分からないでもない。これで有紗の顔が残念なものであったら、私はそんな実のない話に付き合いやしないだろう。
「上がる上がる」
「だよねー。ま、秋永は正直アウトかな。顔はいいけど、手が汚いし」
手が汚い……手を汚した……お、汚職事件?
「爪が短くて、ギザギザしてる。あれ絶対に噛んでるでしょ」
「すごい観察眼だね」
「え~、ふつうに人の手って気になんない? 指毛とか爪とかさ。そういうところからきちんと出来るか出来ないかに、人間性がでてくるというか」
つまり秋永くんは爪が短くてギザギザしているゆえに人間性まで否定されたらしい。思わず自分の手を確認する。うん、大丈夫。清廉な人間性にふさわしいごく普通の手をしている。
「はー、しかしだるいなあ。ねえ、みゆちー私の代わりに部活でてよ」
「バド部にもカッコいい男の子いるでしょ。それに癒されてきなよ」
「友原のことでしょ? 無理。アイツ息が臭いんだよね」
「見ているだけなら口臭なんて気にならないよ」
「いやあ、一度イメージとしてついた口臭はもはや顔面にまで現れてくる気がするっつーか」
意味の分からないことを言う有紗をなんとか部活に向かわせ、ほっと息をつく。さあ、帰るか。鞄を肩に掛けようとしたちょうどその時、隣の会話が耳に入ってくる。
「東間、駅前に出来たあの……」
「アイスクリーム屋?」
「それは前に行ったよ。今回、新しく出来たのはクレープ屋だって」
「おまえの言う駅前って範囲が広いからなー」
「いや、本当に駅前だから。徒歩七分ぐらいでつく」
「それ駅前って言わねえだろ」
何か甘くておいしそうな話をしている。鞄を机におろして、東間くんたちの方を向く。
「ねえ、小畑くん。クレープ屋ってどの辺にあるの?」
「ええっ、えっと、駅から徒歩七分ぐらいのところ」
「大した目印もないのかよ」
不機嫌とまではいかないが、ぶっきらぼうな東間くん。私に対する辛辣な態度とはまた少し違うさっぱり乾いた感じがある。
「東間くん、乗り気じゃなさそうだね」
「男二人ノリノリでクレープ屋に行くって変だろ」
「そんなことないと思うけど。新しいところに行くのって、なんでもワクワクするよ」
初回は本当に楽しい。特に新しくオープンしたばかり店はどこもかしこも綺麗だし、店員さんも張り切っているし、何より人が多くて活気がある。これがだんだんと人気が少なくなって、少しずつ端の方から汚くなっていって、最終的に他の店になっているのだから不思議だ。
と、小畑くんがこちらを見ているのに気づく。
「あの、本山さん……よかったら、今から一緒にクレープ屋行かない?」
「えっいいの?」
「い、いいよ。男二人で行くよりかは店員さんの目もなんとなく優しいし」
わりと打算的な理由だった。
そして近くで聞こえるため息。東間くんが半目になって小畑くんを見ていた。
「おまえってそういうキャラだっけ」
「いや、えっと……誘っちゃダメだった?」
「そんなことは言ってねえけど、おまえが女子を誘うのって初めてみた」
変なことに拘る東間くんである。流石の小畑くんも当惑気味でおろおろしている。
「気にすることないよ、小畑くん。キャラなんてものに拘っていたら、新しいことは何もできないでしょ。人生はつねに革命すべきだよ」
「も、本山さん……スケールが大きい!」
「その感想はどうかと思うぞ」

駅からおおよそ徒歩十五分。むしろ学校最寄り駅より隣駅で降りた方が近かったぐらいの距離で、大きな道路沿い、歩道橋に存在感を奪われる形でひっそりとクレープ屋が立っていた。車がびゅんびゅんと通る音を壮大なバックグラウンドミュージックに、私たちは清潔な自動ドアを見つめている。
「なんの悲劇があってこんなところに開店したんだ……」
「歩道橋を乗り越えてきた人へのご褒美じゃない? 砂漠の中の水洗トイレというか」
「それより早く入ろうよ。たまたま空いているみたいだし」
「偶々も何も必然しかねえよ」
ぷぷぷ必然だってーカッコつけだよねーと小畑くんと笑いながらいざ自動ドアの向こう側へ——行こうとしたが、そのまま扉にぶつかる。ああ、これ押してくださいを押さないと開けてくれないタイプだ。
「うーん、九十五点」
「減点法で採点しはじめるな」
がやがやとしながら入る私たちに対し、期待の第一声。
「らっしゃせー」
「うーん、七十五点」
「ラフな挨拶にラフな減点をするな」
カウンターで立っている店員を前に私たちはよろよろと進む。制服帽子から汚い金髪をぴょろぴょろはみ出させている店員はぴかぴかとポップに明るい店内とのコントラストを意識したのだろうか。怪訝に思う私を置いて、小畑くんと東間くんがカウンターに敷かれたメニューに群がっていた。
「メニューは普通だな」
「辺鄙なところにあるからか、けっこう安いね」
「駅近って紹介したのは誰だよ」
二人はきゃっきゃと肘でお互いをつつきあっていたが、やがて小畑くんの方が気付いてこちらを向いた。
「あれ、本山さん。選ばないの?」
「なんか……お邪魔しちゃ悪いかなって」
「変なところで遠慮するな」
ぶっきらぼうな東間くんの言葉に甘えて、東間くんをぐいっと手で押し払う。ラミネート加工されたメニューの一部が室内灯に明るくぴかっと照らされ、かなり見辛い。と同時に担任ハゲのことを思い出す。あのハゲにも髪のある時代があって、放課後にクレープを食べる春があったんだろう。それが今じゃぴかっぴかっ……私は二人がすでに注文内容を決めたと見てメニューを指差した。
「じゃ私はバナナチョコカスタードで」
「おれもチョコバナナカスタードで」
「カスタードチョコバナナ」
「あーい。『カスタードバナナチョコ』三つッスね〜」
気の抜けた返事をしながら店員はぴょこっぴょこっと一本指打法でレジをならしてゆく。私は財布を取り出しながらこそっと二人に囁いた。
「バナナとチョコとカスタードの可能性は無限大だね」
「六パターンしかないぞ」

汚い店員から目を背ける形で、びゅんびゅんと走る車と灰色のアスファルトを一望できる最高のカウンター席に三人一列でぞろっと腰をかける。私の右隣に小畑くん、そのさらに右隣に東間くんという形だ。鞄を足元に押し込めて、椅子の足をぽんぽんと叩く。
「私、こういう椅子すきだな。背もたれも肘掛もない、ただ腰をかけるだけの椅子」
「スツールって言うらしいよ。それ」
「へえー。どんなものにでも名前はあるんだね」
感心していたところで、小畑くんがそっと耳打ちしてきた。
「ちなみに、スツールには便所という意味もあるんだよ」
「やっぱりトイレだった!」
「何がだ」
わいわいしていたところで、「おたたたしあしたー」の呪文を唱えた店員がスタンドに立てたクレープを持ってやってくる。そして並べられるカスタードバナナチョコ、カスタードバナナチョコ、カスタードバナナチョコ。汚い店員が視界から消えて、三人でわくわくと顔を見合わせる。さあ、ここからが本番だぞ!

小畑くんは電車通学らしい。「おまえと一緖に乗りたくないから」という東間くんも駅まで戻ってバスに乗るとのこと。だから、今日はここでおしまいだ。
行く途中で見つけたバス停の前で私たちは立ち止まった。
「今日はありがとう。すごく楽しかった!」
「うん、楽しかったね」
「店内もすごく綺麗だったし」
「店員さんも個性的だったよね」
「仮にも飲食店に行ったのに味の感想がでないのはどうなんだよ」
話をもう少し続けたかったが、バスが来てしまった。開いた扉を前にして二人の方を向いて、ふと考えた。
バナナとチョコとカスタードの可能性は、確かに無限大じゃない。
だけど六パターンというわけでもない。
「また明日!」
どんなに足掻こうと、そこにはバナナとチョコとカスタードの入った一つのクレープしかうまれない。
「うん、また明日!」
バスに乗り込み、清算を済ませる。
空いていたので席に悠々と腰をおろして、窓から二人を見る。
小畑くんがこちらに向かって大きく手をふっていて、東間くんが顔を片手でふさいでいる。
私も全力で小さく手をふりかえす。
バスが発車し、私は東間くんたちとは逆方向に運ばれてゆく。手首のつかれを感じ、手をおろす。
きっと二人も歩き始めるだろう。クレープ屋の感想をかわして、やがて話はクレープと関係のない日常話に回帰して……バスの揺れに全身をゆだねてまぶたを下ろす。
かすかに残っている甘さをついばむように味わいながら、夕方の眩しさをガラス越しに受け止めて。
それにしてもあれは本当に美味しくなかった! あの組み合わせであんなまずいものを作れるなんて、やっぱり可能性は無限大だ!