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「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

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第15話 撮影された。

マフラー着用の許可が出ると思い出す。母の丸っこい膝の上に乗っていたこと。編み機のおもちゃに毛糸をセットして、単調な作業を繰り返し、ひたすらに長いマフラーを編んでいたこと。細く長くとても使い道がないであろうそれを、拾い上げたその人の黒い靴下に指があったこと。私の視線に気づいた足の指がリズムを刻むように動いたこと。私はそれに手を叩いて喜んでいたこと。その人も私を見て笑っていたこと。
風の冷たい季節、不意に涙がこぼれる。
暖房の入った教室でぬくぬくと卵焼きを虐待していた私の右隣で、ナミちゃんが金魚柄のお弁当袋をひらひらと見せびらかしていた。
「冬はね〜、ハンドメイドの季節だよ〜」
季節に問わずできるところがむしろ良いところなのでは? そうした疑問もこたつに入ってぬくぬく縫い物をしているナミちゃんの姿を思い浮かべてぽわりと消える。すべてが許されている。
「本当に器用だねアンタは。これキットじゃないんでしょ?」
巾着って作るの面倒そーだわ、ゆらゆらと揺れるお弁当袋の紐を眺めて呟く有紗に対しナミちゃんが熱く頷く。
「そこまで面倒じゃないよお、型紙だってインターネットで調べたからね〜。でもキットで何かを作るのもそれはそれで楽しいよう。手芸とクラフトのあるコーナーにいって、ぶらーっと眺めてたんだけど、本当にいろんなものがあるんだよ。テディベアキットでしょ、羊毛フェルトキット、中折れ帽子キット、ビーズ織りキット、ブックカバーキット、クラフトバンドキット、ハンドバッグキット、モビールキット、扇子キット、押し花キット……かわいいデザインに一目惚れしたら、知っているか知らないかも、ふだん作るか作らないかもびゅーんって飛び越して作れちゃうから、ちょっとした趣味にもってこいだよ〜。一週間に一キットでどやっ!」
出来上がるものは上手くやればやるほど個性がないけどね〜、とやわらかに微笑むナミちゃん。匠、ナミちゃんの手にかかればたとえ結晶育成キットでも結晶からジャスミンの香りが漂ってきそう。
「あー、そういう系の話だいすき! 雑誌の付録でさ、そういう作るタイプのあるじゃない? 前に買った雑誌なんか、オーブン粘土がついてて陶器の雑貨が作れたよ」
「付録で二眼レフカメラや卓上で使えるロボット掃除機が作れる雑誌もあるらしいし、そういうハンドメイド雑誌もわりと支持を集めているんだろうね」
「何それコエー」
こっそり確かめたお値段もそれなりのおこわい価格だったので、ある意味ではこわくない。その点でいうと、アルテミア飼育セットの方がよほどおそろしい。カルキ抜き水道水、カプセルトイ、ワンコイン、いずれ沈殿する仲間達の死骸、濁ってゆく水、一ヶ月の命、安い。

トイレから戻ると教室の前で見知った顔がきょろきょろと辺りを見渡していた。忍び足でぬらっと近づいて後ろから肩を叩くが、反応は薄い。「ミユちゃんのことは気配でわかるから」驚かせようと思ったら私が驚かされていた。富田くんはフラットな調子で続ける。
「ミユちゃんさあ。トオヤ先生ってどこのクラス担任かわかる?」
A4サイズの茶封筒を抱えた富田くんの頭は以前見たときよりさっぱりとしていた。それでもやっぱり長いから、校則遵守の道は遠い。
「二年のクラスなの? トオヤは……分からないけど」
「そっか。なんかトオヤ先生に直接渡しといてって言われたんだけど」
「誰に?」
「風間と小鳥哲君」
幼馴染がパシリに使われている事実に愕然としつつも、私は富田くんを連れて自教室に入る。和英辞書をぱらぱらと読んで欠伸をしていたところすぐ隣に立ってみれば、眠たげに目をこすってぬぐぬぐと立ち上がる有紗。
「あー? トミーじゃん。ハロー」
「は、ハロー?」
「ねえ有紗。トオヤ先生って知ってる? 二年のクラス担任らしくて、三組の男子が手紙……を渡したいらしいんだけど」
「遠谷? おーん、ちょっと待って……アタシの部活にいる友原が冬夜って名前だった気がする」
また一つ生活に役立たない知識を得てしまった。「トモハラって誰?」という富田くんの当然の疑問に対し「口が臭いやつ」と答える有紗。無益な情報どころかただの陰口だった。
「島崎なら知ってるかも」
「島崎って誰?」
「さあ、誰だろ」
「みゆちー、アタシちょっと前に教えたと思うんだけど」
そうだったかなと首をひねりながら、ずかずかと歩き出す有紗の後ろにおそるおそるついてゆく富田くんの後ろをとぼとぼとつけてゆく。有紗がぴたりと立ち止まったその隣に進み出る富田くんの隣で足を止める。そこには教卓に頬杖をついて日誌をぬぼーっと眺めているハゲ担任の姿があった。有紗がこちらを向いてこそこそと囁く。
「ほら、アレ! アレが島崎だよ、みゆちー。ここ、テストにでないから」
「テストにでないなら覚えなくても安心だね」
「テストにでることだけが全てじゃないし、担任の名字ぐらいちょっとは覚えてあげようよ」
ハゲ頭を前にして三人でぼそぼそと話していたところ、きらりとハゲの光沢が動いた。
「おい、何話してんだ」
「おー島崎センセ。トオヤ先生ってだれか知りません? なんか三組の男子が渡したいものがあるらしいんですけどー」
島崎は私と有紗の間にいる富田くんを一瞥したのち、頬杖をついたまま空いていた片手をだらしなく差し出す。
「ん」
「握手?」
「握手だってよトミー。よかったね」
「えっ、あっ、転校生の富田です。よろしくお願い致します」
差し出された手を静かに両手でとって素直に頭をさげる富田くん、の背で目配せをして笑い合う私と有紗を睨みつける島崎。
「おい騙されてんぞー富田。握手じゃないって」
「えええっ」
「損しちゃったね、富田くん」
「男から男にもセクハラって適用されるらしいし、ワンチャンあるって」
「何がワンチャンだ」
賠償金チャンス、と呟く有紗に島崎はぴっぴっと富田くんの手を振り払って頬杖を崩す。
「島崎トオヤ。遠い谷って書いて、遠谷」
また一つ人類に役立たない知識を得てしまった。叶うのなら今すぐに記憶をリセットして脳裏に島崎遠谷の文字列が掠めない日々を過ごしたい。
再び手を差し出す島崎に封筒を渡して、富田くんががっくりと肩を落とした。
「なーんだ。苗字かと思ってました」
「よく言われるよ……それはそうと本山ァ。おまえ、もうすぐ三年になるっつーのに担任の名前もろくに覚えとらんのか」
「だって先生、名前より特徴的なところが目立っていますから。違うあだ名が先に浮かんでしまうんです」
「ほうほう、どんなあだ名かじつに気になる気になる気になるナー」
うるせえハゲ、罵り言葉が唇をこじ開ける前に島崎が封筒の上端をびりびりと破ってぐるっとひっくり返した。封筒の両脇を押して何度か振ると、静電気を帯びてまとわりついていたようにずるずるとそれが封筒から顔をだして、最終的にぴらっと教卓の上に落ちる。背の方で丸まっている、写真用紙だ。
「写真、生徒と撮ったんですか?」
「援交の証拠写真かもよ」
「テキトーなことを抜かすな! ……ちなみに三組の男子ってだれよ」
「風間と小鳥です」
慇懃に答えた富田くんに対して大きくゆったりと頷きながら、島崎は写真をこそっと封筒におさめた。
「島崎センセ、中身、ちゃんと確認した方が良くないですか?」
「世の中には知らない方がいいこともある」
「先生とあろう方がそれでいいんですか! 見損ないました!!!」
「おまえはもともと俺をちっとも尊敬してねーだろ本山ァ」
私の訴えを無視して、軽やかに下手くそな口笛を吹く島崎。余裕のあまり他クラスのやつは帰った帰ったと富田くんに対して手で帰れの合図をするぐらいである。もちろんこの横暴に、元祖人類の横暴こと柏野有紗が黙っているわけがなかった。島崎が手で追い払うジェスチャーに夢中になっている間に、机の上に置かれた封筒をしゅばっと奪い取り、その中身を取り出す。島崎が止める間もなく、有紗は少しくるまったそれをぴんと左右に引っ張って私たちの方に向ける。青い空。太陽の光。ペールオレンジ色の山が太陽光を受けてぎらぎらに輝く。夏の趣。ハゲの頭。たっぷりとある写真用紙の余白には青色のボールペンで「頭ウィンター」なる達筆な字が残されている。三人で顔を見合わせて、それぞれゆっくりと島崎の方に視線をよこしたあと、作りに作った神妙な声音で呟く。
「頭ウィンター」
「やめろ」
ぷらっと通りかかった田代くんが小さく声をあげてこちらに近づいてきた。
「あ、先生ー。それ、インスタントカメラで撮影したやつですか」
「知らんわ! つーか逆になんでお前がそれを分かるんじゃー」
「ぷぷぷー島崎、もうすぐ三年生になるのに生徒の特徴も知らないとは。このクラスの三大オタクといったら後藤、田代、小畑に決まってるでしょ。んん? 島崎の頭カルスト地形?」
島崎から痛恨のチョップを食らった有紗、迫真の表情で「セ・ク・ハ・ラ」と私に迫ってくる。はたから聞くと私が有紗にセクハラしたみたいじゃないか。呼んでないよ近藤さん。混乱はまだまだ続く。
「後藤も田代も小畑もオタクってイメージはないけどな」
「おう、俺はオタクじゃないんだ」
「うるせーっ。喋り方がオタクっぽいんだよ! この家電系オタク!」
「違う! 新製品のカタログとかチェックするの好きなだけだ。これは技術と進歩に対する興味関心の問題なんだ」
「はあ……インスタントカメラなんて今時新製品でもなんでもないじゃん」
「普通に新製品として出ているぞ。しかもインスタントカメラはどちらかというと女子寄りの流行だ」
きょとんとする富田くんに対し、有紗がぱっと顔を輝かせた。
「おー、分かった。あの白い余白に文字を書いて、みんなでシェアするわけね!」
頭ウィンターをね。
「おう、そうだ。わざわざプリンターや写真屋で印刷してもらうよりか、その場で撮ってその場で共有できるカメラが有用な場合もある」
データの方が共有できるんじゃないの、と不安げな富田くんをさしおいて、有紗は「頭ウィンター、すげー」と教卓の上に放り出されていた写真を手に持ってぴらぴらと動かす。動かすたびに写真紙特有の光沢が室内灯の光と組み合わって、頭ウィンターの輝きが増し増し、体温も上昇する。
「最近じゃ多種機能携帯電話で撮った写真を無線で印刷できる、携帯も可能な小型プリンターが売っていてな。感熱紙を使って印刷しているサーマルプリンターだから、インクもカートリッジも必要ないんだ」
「うわー、それ超テンション上がる! 何、カタログちょっと家から持ってきてよ」
「なんで家にカタログがある前提なんだ……あるけども」
電化製品の進歩に盛り上がる有紗と田代くんを前に渋面を作るハゲから離れて富田くんがぶつぶつと呟きながら頭を抱えている——共有するならデータでいいような、わざわざ小型プリンターなんて買う必要ないような、いったい何が目的なのさ、そもそもそんなに写真って撮る機会あるのかな、でもミユちゃんの家にはたくさんアルバムがあったしな——ぽんぽんと幼馴染の背中を叩く。もうすぐ次の授業が始まるよ。

神園さんから箒を受け取って掃除道具入れに収納する。ばたん、と閉めて振り返ったときまだ神園さんが立っていた。
「あれ、掃除道具入れに用があるの?」
「ううん。用があるのは……あるというわけでもないんだけど、本山さんの方」
ぎくりとして背筋を伸ばす。じつは私が神園さんの下の名前を知らないということに気づかれてしまったのだろうか。教室の隅、おいつめられる形で私は神園さんの沈黙を受ける。隣のクラスではまだ机を運んでいる段階らしい。怠惰な誰かが机を無造作に引きずる音が、机の上に退避させた椅子ががたがたゆれる音が、自教室であちらこちらに咲く雑談よりはるかに、響いた。
「北上さん、最近こないから心配だよね」
そうだねと頷いた。
「体育のとき、選択も一緒だったんだけど。準備運動で組まなきゃいけないときも、練習をするときもいつも一人だったし。何か不安なことがあったのかな。……事情、聞いてない?」
知らないやごめんねと答える。
「そうだよね。本山さん、だれとでも仲良く話す人だから知ってるかなと思って……なんかね、私だけが気にしているみたいだって、ときどき思うこともあって、そんなことはなくて、みんなきっと、ちゃんと気になってはいるはずなんだろうけど……」
そのとおりだよ共に歩んできたクラスメイトが欠けたらだれだって気になるよと発声する。
「そう、そうだよね。よかった。私以外の人が、たくさんの人が、みんなが気にしてくれると思ったら、きっと北上さんも辛くないよね。今、何か悩んでいることがあっても、本当は一人なんかじゃないんだから」
ひとりしかいないひとなんてどこにもいないよねと口を動かす。
委員長が無防備な笑顔をさらけだす。
うまくいった、私の冗談。

「おまえさ、問題解くの早すぎだろ。どうなってんだ」
「この問題集、もうまるまる解いてるから」
「……サッカー部だよな?」
「東間の中ではサッカー部はバカ設定? それともヘディングのダメージが脳に蓄積していく説支持者?」
「じゃ後者にしといてくれ」
了解、と呟いてさらさらと問題を解く秋永くん。授業中や勉強中だけメガネを掛けているのは女子的にポイントが高いザマすね、と対面で笑う後藤くんの頭に隣から有紗のパンチが飛ぶ。ああ、後藤くんの脳細胞が。現段階ですら悲しいレベルの語彙が。
「あひょっ」
アホになる。
まだ少し賢かった以前の後藤くんを心の中で追悼しながら解き終えた問題にさっそく丸つけを行い、解答解説の欄に目を通す。気ままに机の下で足を伸ばしてみれば、ごつんと人の足にぶつかる。私は向かい合うようにくっつけた机の先をじっと睨みつけた。
「なんでいるんですか、先輩」
「席が空いていたから、俺のためにすたこらせっせと開けてくれたのかと」
だれかと目を合わせようとキョロキョロする高橋のおかげで、みなの勉強の進みが捗る。
「今、ちょっと席を立っているだけでそこは小畑くんの席です」
「お花摘みか。けっ、小畑は本当にいい身分だな……エンターテイメントがなんであるのかちっとも分かっていない。男は黙って、失禁!」
えーほい、えーほい、えーほい。外できらめく青春の汗が静寂を埋めてくれる。このままだと小畑くんが流した水の音さえ聞こえてきそうなぐらいだ。濁った咳払いが、響く。
「俺は、先輩はなあ、忠告しにきたんだよ! ここから離れろ、さもなくばあのおぞましき黒の怪物の餌食となれ!」
びくっときて顔を上げる。高橋は茶目っ気たっぷりの表情を浮かべていて、だれも反応をくれないこと見てとったらしい。こちらをうるうると見つめだした。頭を何度か横に振って、尋ねる。
「四文字の何かですか」
「五文字の何かで、でも本当に黒いのは三文字の何かだな」
三文字……黒い……ゴマ……それは二文字……。
「ほくろ……ほくろ爺」
アホになったせいか集中力を完全に乱されたらしい。後藤くんが目をがっと見開きながらシャープペンシルの背でぐりぐり額をつついて思考を巡らせている。
「スーツ……黒尽くめ……」
伝染したらしい、有紗の手も完全に止まってしまった。眉間にしわをよせて悩ましげ。
「やくざ……黒尽くめ……」
黒尽くめの男達が誕生しつつある放課後勉強集団、ナミちゃんもあえなく陥没。ノートに挟んでいた下敷きを両手でもったまま既に現実を見ていない。
「そもそも三文字が黒いという前提であって、五文字の部分は黒くなくてもいいような」
「秋永、おま、意外と変なやつだよな」
そういうときはユニークというヒニークをいうんだよ、と念じていたところで、閉めていた教室前扉ががらりと開く。最初にそれを見たのは、ちょうど入り口が視界に入る席だった私と、扉が開いたと同時に椅子の向きごと動かして音の方向を見た高橋だけだっただろう——黒い四文字の何かと、黒い三文字の何か二つを抱えた、五文字であろう女生徒二人と小畑くんが教室に入ってくる。ちらりと見えた上履きから二人は一年生だとわかった。
ぞろっ、ぞろっ、明らかに一人分ではない足音にみなもようやく気付いたらしい。教室前方で固まる五文字の二人とその後ろで照れ臭そうに笑っている小畑くんに視線が集まった。上級生の眼差しに五文字らは小畑くんの後ろにわたわたと隠れる。身を寄せ合ってぷるぷるとする二人に肩をすくめたのち、小畑くんはもじもじと前に進み出た。
「いや、あの……ちょっと捕まってしまいまして……放送部の人がこう、新入生向けに流す学校紹介ビデオで、こう、青春風景を撮りたいそうでして」
有紗がコキコキと首を傾けて小畑くんを睨みつけた。
「そうでして?」
ひぎい、と放送部員の一年生らが震え上がる。小畑くんはあせあせと慌てながらもぱちんと両手を合わせた。
「お願いします。青春してあげて、撮らせてあげて」
先輩に負けていられないとばかりに、本職の二人もがたがたと足を震わせながら一歩前に出る。
「お、おねがいします! いつも部活では腹と喉をいじめられているんです! 添々木希です!」
「そうなのです! 部活動が始まるたびに、大声で意味のない言葉の羅列を復唱しないといけないのです! 都志美桃なのです!」
後輩らの悲痛な叫びに私たちはどよどよと騒ぎ出す。
「す、スゲエ。確かにブラックだわ」
「ただの発声練習だろ」
「発声練習じゃん」
「発声練習だねー」
「というかその情報、学校紹介ビデオの撮影と関係ないよね」
意見がだいたいまとまったところで、私たちは小畑くんに視線を放り投げた。
「本当、頼むよ。ただノーカットらしいから! 音声も使わないらしいし、何ならそのまま勉強してくれたって構わないから」
「小畑せんぱい。できれば勉強をしている姿より談笑している姿を撮りたいのです」
「そうです、先輩。青春に勉強なんていらないです」
「ええ……ま、まあ、そういうことで。みなさん、よろしくおねがいします」
ひそひそ話しからだんだんとざわめきが大きくなる。「小畑が女に買収された」「小畑くんも女の子が好きなんだね〜」「今年の放送部員珍しくかわいいな」「先輩、どうして死滅しないんですか」「俺はべつにいいけど。大して目立つ容姿でもないし」「秋永が目立たない容姿ならそこらの男はチリゴミだっつーに、なあ、後藤」「そこで東間や高橋先輩にいかないあたりマジにリアルでキツいっス」がやがやと話した末に、ぴたっと喋り声が止まる。私たちの視線は困惑げにひそひそと話していた放送部員らに集まる。
「で、なんで今の光景を撮らないワケ?」
「えっ、あの、今のってどこが青春なんですか?」
「フィクションにあるがやのような情報の薄さだったのです。何にも残しておくに値することはなかったのです」
有紗が立ち上がろうとするところをナミちゃんと後藤くんが必死に抑えようとする。静止を振り切れない有紗はわずかに尻を浮かして後藤くんの肩に肘をがしっと置いて一呼吸置いたのち、叫んだ。
「青春ってのはねえ! 情報量が少ないんだよ!」
あまりにも不条理な主張に思わず息を止める。なぜだか東間くんと目があう。秋永くんの視線も感じる。だけど最終的に私は小畑くんを見ていた。
「おれはわりとそれ、真理だと思う……主題に関係のないことをずらずらと書いた物語は、冗長とか無駄が多いとか薄っぺらいなんて言われるけど、無駄のない物語があるとすればそれこそが物語として無駄だ」
ずるいよなあんなに顔がよかったら突然に何をいっても様になるじゃんか、有紗の肘置き後藤くんが小さく呟くのが聞こえた。
「小畑の電波野郎は置いといて、撮るなら撮るでとっとと準備することだね! アンタらがどんな青春を期待しているか分からないけど、そんなものは一瞬のうちにやってきて一瞬にうちに通り過ぎるんだからね! ずっとずっと待って、待って、待って、やっと捉えた一瞬をアンタらが切り貼りして初めてまともに映像になるんだからね。良い? アンタらがムダなことをしてくれなきゃ、アンタらのいうような楽しいだけの青春は完成しないんだよ!」

よくもこう自然体でいられるものだ、その横顔に感心すると同時に不思議になる。いつからこの子と友人になったんだろう。いつ好きになって、そして、いつ嫌いになって、いつ別れるんだろう。
「マ——楽しい人生を築くのには三原則があるわけよ」
「希望を持たない、作らない、持ち込ませない?」
「どうしたみゆちー、なんかむちゃくちゃダークサイド」
そうだよ、ダークサイドなんだよと茶化せば有紗もつられるように笑った。
「ナミちゃんは? 分かる?」
「知ってるよ〜。ずばっ、悪いものをよせつけない。悪いものを増やさない。悪いものが好む環境にしない!」
「ほほーん、衛生のよさそうな三原則」
「はいはーい。人に危害を加えない。人に服従しなければならない。自分を守らなければならない」
「うるせー後藤聞いてねえわ一人で勝手にロボって死ね」
有紗は自分で言ったことにゲラゲラと笑いながら、ぴしっと人差し指を立てて続けた。
「分かっていても言わない。同じことは二度と繰り返さない。次に起きることを予言しない」
まるでマジックのようだ、と感心していたところで小畑くんが腕を組んで眉間にしわをよせて神妙に呟いた。
「楽しい人生の反対は、物語なのかもしれないね」

小畑くんが長々と考察をしはじめたところで、放送部員の二人が慌てて飛んできた。「もう結構です」「大丈夫なのです」「いいカットがたくさん撮れました」「夏にあるオープンキャンバスのムービーにも使っていいですか」勢いでまくしたてられた私たちはそのまま頷かされる。と、二人はものすごい早さで三脚からカメラを取り外してそそくさと撤収してしまった。徒労感につつまれながら、私たちは気だるげに席につき、うんざりと机に広げられた勉強道具を見やる。やる気にならないと次々と参考書やノートが閉じられてゆく中、ナミちゃんがゆったりと首を回した。
「あれ、高橋せんぱいは〜?」
「放送部員の人たちの後ろで意味のわからないダンスをしていたけど、小畑くんが話しはじめてから五分ぐらいで教室を出たよ」
「めちょめちょ一家に一台ほしーわ、小畑」
なんで、と言いたげな不思議そうな表情に私はなぜだか目を離せなかった。

「なんで、普通にしていられるんだよ」
夏は寒すぎるし、冬は暑すぎる。バスの中で、私は夏が寒かったと言っていた人のことを思い出す——目前で相手にしていながら追想するなんて、私の今はいったい何なんだろう? 息を吐く。外までは白かった息だ。
「変だったかな。なら私はどうすればよかったんだろう」
「……軽蔑したり、無視したり。やり方はいろいろある」
「秋永くんと私の事情について知らない人からしたら、そんなのおかしいよ」
「互いに事情を知っている間で、何にも起こらないのもおかしい」
昔、また昔の話か。
「破滅したいのは報われたいからだよね。自分がやったことに、何らかの意味があったと、現実に打撃を与えたのだと、そう思い込みたいから応報を期待するんだよね」
感動のない人生、いや、いま何でその言葉を思い出すんだろう、でもそれこそが適切だったような気がする、何の感動もない、深く心を打たれることなく、泣けもしない、ただ立ち尽くし、何かが通り過ぎるのを待っている、無感動な人生。
「でも、あなたがやったことはそう悪いことでもなければ、そう良いことでもなかったと思う」
ねえ、神園さん。北上さんって誰?

遡る。
いつのことだったのか、今さっきのことだったのか、今すぐのことだったのか、数日前の、数週間前の、数ヶ月前のことだったのか。
冷え込んでいたのは確かだ。でも春も夏も秋も冬も冷え込む日はいくらでもある。
外だったのは確かだ。私は全身に風を感じていた。だけど室内にだって風は作れる。
きっと暗い顔をしていたのも事実だ。そうでなければ彼がまるで私を覗き込むようにしてうかがうことなんてしなかっただろう。

なんにせよ鮮明に思い出せるのなら、それはいつのことでも変わりがないように思う。
「一つ、私には悩みがあって」
「何? 聞くよ」
「他人の本気を見ると本気で傷つく」
小畑くんはぱちっぱちっと印象的な瞬きを繰り返したのち、さっくりと言った。
「本気って痛いもんね」
さらりと続けた。
「あらゆる感覚は刺激からなるんだから、刺激のない人生は感覚の乏しい人生と同じだよ。だから本気を本気で痛いと思えることは悩ましいことというより良いことだよ……その痛みすら分からなくなったら、膜をはって遠いところから物事を俯瞰してみるような、感動のない人生になるから」
「そういう人に、会ったことがあるの?」
「かつて、おれの友達にそういう人がいた」
一瞬だけ陰った表情が、私の視線を受けてぱっと華やいだ。
「だから本山さんが楽しそうにしているところをみると、すごく安心する」
「それは、べつに私でなくてもいいんじゃないかな」
私でなくてもいいのではないか、という問いはあなたでなくてもいいという答えだと教えてくれた人がいた。彼は邪気のない笑顔を浮かべる。
「これもまた感覚の問題なのかもね——おれは、本山さんじゃないといけない気がしている」

「おれさ。あまり人付きあいがうまいほうじゃなくて、運動も勉強もそこそこにできたからいじめられるなんてことはなかったけど、一匹狼みたいな扱いをされちゃって、おれも意地をはって孤高なふりをして、それで、一人、本を読んでいた。
「授業中なんかにも読んでさ。他のやつと違うことをしているというのに優越を感じたのかもしれないし、他のやつと違うことをしているから自分は他のやつと同じことができないのも仕方がないんだって、そういう風に言い聞かせたかったのかもしれない。まあ、それは今となっては判断がつかないけど。
「どれもこれも熱中した。特に孤独を抱えている主人公にはつよく共感した。好きになった。感情移入した。新しいことを知った気になった。泣いたり苦しんだりしてみると感性が養われている気もした。何より面白かった。
「人生を拡張してくれる。解像度をあげてくれる。そんな気がして、まあ、解像度が高いってのは幸福な話でもないんだけど。解像度が高いのだって疲れるし。繊細って言えば綺麗だけど、おれのそれは繊細というより、神経質というか。なんというか。
「こんなものを好きになれるおれはきっと世界で一番しあわせな人間だろう!」
「きっとこれはおれだけだろうって、みんなはそんな経験をしていないんだろうって、嬉しかった。これはひとりで本を読むおれだけの特権だって、内心、わくわくしていた。だけど。
「ある日、クラスでも人気者の、とても良いやつがこそっと話しかけてくれた。何か茶化されるんじゃないかって、一瞬びくついて、でもそいつは優しく笑ってこう言った。『おまえ、本好きなの? 僕も本、結構読むよ』
「それから親しくなって、やつの家に行ったとき、おれはいまにも開かれるやつの部屋の扉の前で願った。今時の本だけあってくれ。大したことのない、ありふれた、ベストセラーだけがあってくれ。もしくは本棚すらなくて、インテリアみたいに勉強机や棚にちょこんと本が飾られているぐらいであってくれ——おれの願いはむなしく終わった。おれは最高に趣味のあう親友を手に入れて、それと同時に気づいてしまった。
「おれの好きは気休めでしかない」

昔のことだ。
ある晴れた昼下がり、大きな樹の下で私は眠りこけていた。
とても長くて素敵で皮肉な夢を見ていた。
起こされた時にはすでに日が暮れていた。
私の中から物語は永遠に去ってしまった。

理想の美しさに殉死したい。できない。命を燃やせないことを知りながら、なお生きることしかできない。
一生懸命に何かをやって、その結果にいちいち泣いたり笑ったりできるような、まともな人間になりたかった。