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「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

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第13話 一緒に帰った。

金木犀の香りをへて、よく空を見上げるようになった。
春より青く夏より澄んで、繊維状の弱々しい雲が空高く浮かんでいる。私はそれの端と端を目で追いながら、卵焼きを箸先でつつく。
「聞いてよナミちゃーん。マジでみゆちーウザいの。スリーポイントシュートばっかり打ってくんの。全員初心者なのに」
「有紗、有紗。私だってバスケは初心者だよ」
「ミニバスやってたんじゃなかったっけ?」
「ミニバスにはスリーポイントシュートがないんだよ」
知るか、と背中を思いきりに叩かれて口に含んだ卵焼きがはみ出てちぎれて飛び出そうになる健全なお昼。心地よい風の中で、中庭に設置されたベンチに腰を掛け、私、有紗、ナミちゃん、近藤さん、その隣にはみ出て空気椅子の高橋で優雅にお弁当を楽しんでいた。
「有紗ちゃんもバドミントンにすればよかったのにー」
「アタシのようなハイパー上級者がいたらやりづらいでしょ。空調でも操作できなきゃアタシには勝てないよ!」
部活をサボっている人間の発言とは思えない断言に、惚れ惚れと感嘆の声をあげるナミちゃんと近藤さんと空気椅子でぶるぶると震えながらホットドッグをもぐもぐ食べている高橋。
「近藤ちゃんは? ソフボ楽しい?」
「むちゃくちゃ楽しいよー。エラーが多くて試合はぐっだぐだだけどね。でもそのイケボみたいな略し方どうなんだろ」
「ソフトボイス〜」
「それ以前に祖父母でしょ。祖父と祖母ーる」
「あはは」
四人で笑い合う中、高橋がげほげほと噎せたような咳払いをする。はっと気づいたように近藤さんが私たちの方を見た。
「ところでさ、このベンチって実のところ三人掛けじゃないのかなっ?」
「あー、それ七海も少し思ってたー」
「それそれ! 狭いわなー。一人でも左利きがいたら大事故が起きてたわ」
「おい、早くだれかツッコめよ。俺の足がぷるって死ぬぞ!」
私たちが有酸素運動について語りはじめたところで、高橋は空気椅子を解いて私たちの目前にずんと仁王立ちをした。
「先輩に空気椅子をさせるなんて、一年早いぞ!」
「聞いてよみゆちー。高橋センパイ、応援団の打ち上げに自作すごろく持ってきたんだよ。ありえなくない? ただでさえ存在がありえないのに」
「話しかけなくても進行に差し障りのないノンプレイヤーキャラクターだと思って無視していいよ」
「言われなくてもみんなでガン無視したわ」
ちらりと高橋の顔を見ると、梅干しを食べたと言わんばかりの酸っぱそうな顔をしていた。食事中に見てはいけない何かだった。
「まあまあ、ボードゲーム喫茶団長さんの話も聞いてあげよ? 聞いてダメだったら無視すればいいし」
近藤さんの言葉に高橋はぱっと顔を輝かせた。
「そっちのクラスで応援団長カッコイイよねとか言ってる女子いなかった? もしいたなら一人残らず情報を回せよ! 俺の連絡先もバンバン伝えてイイからな」
「有酸素運動も激しくやりすぎたら活性酸素が増えるって聞いたことがあるなー。ただちょっと走ったり泳いだりするぐらいだったら問題はないっぽいよっ?」
「なんほどねぇ、いやさ。チアの先輩の話を聞いてたら意外と走ってるって人が多くてさー。アタシも筋トレぐらいはしてるんだけど、ちょっくら朝と夕に走ってみようかな的な」
「七海的にはウォーキングがおすすめだよう。土曜日か日曜日の朝にね、近くの駅まで行って、音楽を聴きながら『つかれたー』って思うところまで線路と平行になるように歩いていくんだよ。そうしたら、本当にへとへとになって動けなくなったときも、最寄駅まで行って電車で帰れるし」
「ちくしょう……このパターン、わかってきたぞ。この世界は俺以外みんなノンプレイヤーキャラクターなんだな! だから俺がどんなに話しかけてもまともに会話が成り立たない……いったいこのゲームを仕組んだゲームマスターは誰なんだ……ふとしたきっかけから現状を取り巻く虚構性に気づいた高橋の冒険が、今、始まる!」
ぶつぶつと呟く高橋を横において私たちの話題は携帯音楽プレーヤーに移る。高橋、かわいそう。高橋、ざまあ!

職員室から教室に戻ろうとしたところで、トイレから帰ってきたらしい富田くんにばったりと出会った。並んで歩きながらほんのりと赤い頬を指摘すると、富田くんはぎくりとして私から少し距離を取る。なんだなんだ、と窺えばぼそぼそと。
「さっきの時間、体育でさ……臭うかもしれないから」
「デオドラントは使ってるんでしょ」
使ってるけどさー、と富田くんは言いながらくんくんと自身をにおって首をひねる。
「服の臭いはわかるけどさ、自分の臭いって自分じゃ分かんないのよねん」
「富田くん綺麗好きだし、大丈夫だと思うけど。ところで選択授業、富田くんは何にしたの?」
「サッカーだよ。昔やってたし人数的にもちょうどよかったからさ……ミユちゃんはバスケ?」
頷けば「元子と一緒にやってたもんねー」と頷き返される。歩いているうちに三組の教室前まで来て、立ち止まる。
「元子の真っ黒写真、前にちろっと見たけどさ。今更ながらミユちゃんとの方向性の違いにびっくりするね! 当時はミユちゃんも元子と並んでスポーツ少女だったのに」
「運動自体は今でも好きだけどね。ふらっと走ったり鍛えたりするぐらいなら。でも部活やチームにはもう入れないかな。私みたいな人がいると迷惑だろうし」
「迷惑ってことはないと思うけど。ミユちゃん、なんでもできるでしょ」
あははと笑いながら私は富田くんから視線をずらして廊下側の教室の窓を見る、と二名の男子生徒と目があった。私の視線を辿って振り返った富田くんが窓から顔を出す男子生徒らにつかつかと近寄る。
「なんで見てんのさ!」
「見てねーもん」
「もんもん」
「澄ました顔をした富田も結局は歩く性欲ってことですわね」
「わねわね」
富田くんの隣にたって軽く会釈をすると、そのうち一人がはっと気づいた。
「もしかしてカズちゃんとオナクラの人? あっ、オナクラってのは同じクラスってことでエロい意味じゃねーですよ」
だれなのカズちゃん、私の困惑をよそにもう一人の男子生徒が富田くんにひそひそを話しかける。
「とみとみ、オナクラでエロい意味ってなんだと思う?」
「ええ……女子の前で聞かないでよ」
「僕はオナニークラリネットだと思う」
「端的に最低!」
「クラリネットはもちろん隠喩でね」
「複雑に最低!」
盛り上がっていた二人の会話に、質問をしてきた男子生徒が割り込む。
「オナニークラリネット! なんてオシャンティでワールドワイドで業が深くて文学的フレーズなんだ! ノーベル文学賞に最有力候補に毎年挙げられながら毎年かろやかに受賞できない作家になれるぜ!」
「やったぜ」
「あのう、カズちゃんって名字がカズちゃんなの? 名前がカズちゃんなの? 略するとカズちゃんなの?」
数々のカズちゃん説を提示すると、問われた男子生徒が曇り一つない無邪気な笑顔をよこした。
「名前よ名前。秋永一樹ってクラスにいない?」
「いるけど」
「やっぱあ? オレ、カズちゃんとオナ部なの。あっ、エロい意味じゃねーですよ。サッカー部。俊足のベンチ、風間小平ってご存知ない?」
「ご存知ないけど」
オレのことだから、と胸を張る風間くん、の隣ではいはいと小さく手をあげる男子生徒。
「僕は帰宅部の小鳥哲。とみとみの友達、だちの友達はみんな友達、ゆえに君ももう友達。友達記念に教えておくと、帰宅部の帰宅はもちろん隠喩でね」
「世界はメタファーなの? 小鳥哲君」
「地獄にゴーホーム」
もうやだこの人、と泣き言をいう富田くんの背中をぽんぽんと叩きながら私は再び会釈をする。
「本山佳美優、私も帰宅部だよ」
「そっ、オナだね」
わははと笑っていると、富田くんが私と小鳥くんを交互に見てがっくりと肩を落とした。
「ミユちゃんに下ネタいうの禁止ぃ……ミユちゃんも笑わないで……」
「はー。富田は性欲も独占欲も強いから困っちゃいますぅ」
「その点においては高橋クソ先輩野郎の下位互換だけんどね」
「は、はあ? 高橋先輩ってだれなのさ」
オナ中で連日モノポリーを食らわせてきた先輩だよ、オナ中ってのはいやらしい意味じゃないよ——説明する間もなく廊下の端にハゲ頭が見えた。ちらりと腕時計を確認すればもうそろそろ次の授業が始まる時間だ。そろそろ、とその場を去ろうとした時、風間くんが声をかけた。
「カズちゃんによろしく」
「え? まあ、うん。でも同じ部活なんだよね」
「近すぎると近寄るのも苦労するぜ!」
それは何の比喩だろう。
急いで廊下を走らないように穏やかに全力で廊下を走りぬけながら、私は高橋の謎知名度について考えていた。

「友原の吐息の臭さで世界は滅亡する……」
意味の分からないことを言う有紗をなんとか部活に向かわせ、ほっと息をつく。さあ、帰るか。鞄を肩に掛けようとしたちょうどその時、隣の会話が耳に入ってくる。
「東間、一緒に読書グッズを見に行こう。駅前十二分ぐらいだから」
「おまえはそろそろ駅近って言葉を覚えろ」
「書見台が欲しくて」
「……通販で買えば?」
「どうせ買うなら買う瞬間まで楽しい方が得だし」
「男二人で読書グッズを買いにいくことの何が楽しいんだ。通販を使え! 半日から丸一日の間に届くから!」
「あのさ、東間、気持ちはわかるけど人生は通販で賄いきれないよ」
「諭すな!」
「チャームのついたブックマーク、付箋と一体型のブックマーク、ブックバンド、お風呂で読む用の完全防水ブックケースー……本を読むためにだけ出来たグッズとの運命的な出会いを想像するだけで、行きたいなあって気にならない?」
「通販でいいだろ」
「人生は」
「うるせえ」
東間くんと小畑くんはそのまま喋りながらだらだらと教室を出て行く。その背を眺めたあとでちらりと教室の後ろにいた近藤さんを見れば恍惚とした表情で宙を眺めていた。声は聞こえないが「にちゃにちゃ」と口が動いているのがわかる。その隣で後藤くんがろくろを回すように手を動かしながら話していて——。
「本山」
振り返る前に声の主が私の前にテキパキと現れた。鞄を持ってこちらを平然と見下ろしている。
「秋永くん、珍しいね。部活はどうしたの?」
「サボタージュ」
私の顔を見て、秋永くんがくすっと笑った。
「ジョーク」
「だよね」
「一緒に帰ろう」
「ジョーク?」
秋永くんは首をゆっくりと横に振る。
私を置いて教室を出ようとする。その前に扉のそばの壁に掛けられていた教室の鍵を指にひっかける。ぷらぷらと鍵を揺らしながら立ち尽くす私の方を向く。教室の後ろに視線をそらす。すでに鍵はしまっている。
「本山。閉めるから、早くこっちに来て」
逃げ道を失って、始まる地獄にゴーホーム。

ステップを登って料金を支払うまでの動作がどこかおぼつかなかった。
バス後方に腰を掛けた秋永くんの隣にちょこんと座る。バスはすぐさま動き出し、秋永くんが窓の外を見るのをやめて前の座席をぺたぺたと触りだす。
「秋永くん、どこで降りるの?」
「降りるときが降りるとき」
「ふだん、バス通学じゃないでしょ」
こちらに顔を向けて秋永くんはほのかに笑う。
「早く帰れるといつもとは違うことができていいよな」
「よかったね。いつもと違うことをするのは、本当に難しいから」
「本山にもそういう経験がある?」
ふとしてはじめた早起きも、いずれいつもどおりになる。バスの揺れに身をまかせる形で、ぼんやりと返答する。
「だれにでもあると思うよ。抗えないことだから」
そーか、と呟く間もあいかわらず私をまっすぐと見ている。それを横目で確認して前の座席を見る。視線と視線が直交する。
「でも違うことをする方が、新しいことを始める方が、精神的には楽だー」
「何より?」
「取り返すことより」
ゼロになった、と思った。私たちは互いを互いに射抜くようにして、見張る。相手の唇の僅かな震えを、空気から、肌から、感じ取るように。
「最初から出来なくて諦めることより、出来なくなって違う方向に逃げるより、取り返そうと過ぎ去ったことに追いすがるのは何よりもみじめだ」
進んでいるように見えて逆行だから、と秋永くんはいかめしく付け足して口をぎゅっと結ぶ。ただ眼差しだけが私をまっすぐと貫いている。信号に引っかかって、バスがとどまる。
「よくわからないけど、みじめなのも人生なんじゃないかな」
膝と膝が近く、偶然が一瞬だけ私たちを触れあわせた。信号が切り替わり、束の間の体温もすぐに離れ、バスは次の目的地に向かってためらいもなく進みはじめる。
「人生のなかにみじめがあるのと、みじめなのが人生なのは、違う」
秋永くんの話はぽつぽつと今日あったことに移ってゆく。授業のチーム分けでいつも自分が最初に振り分けられること、いつも同じ人たちとチームを組まなければならないこと、ワンサイドゲームは退屈でクロスゲームは楽しいというのは見ている側にもやっている側にも言えることだがそこには大きな差があるということ、応援する側のドキドキハラハラとプレイしている側の緊張と高揚はまったく種類が異なるということ——彼が不意に手を伸ばして降車ボタンを押した。腕を下ろした彼の横顔に、私は囁く。
「カズちゃん」
こちらを向いた秋永くんの顔を見て、私は笑った。
「って秋永くんのことを呼ぶ男子生徒が、よろしくって言ってたよ。三組の……ベンチの人?」
風間だ、と答えて秋永くんは立ち上がる。通路側の私も一度席をたって、秋永くんを通す。彼はバスから降りる前にちらりと私に視線を投げて頭をさげる。私は胸より少し高い高さで小ぶりに手を振る。バスの扉が閉まり、私は窓側の席につめて座る。窓から一度、前を見てそれから後ろを見る。
とぼとぼと歩くその背は、バスの進行方向を逆行していた。