multiple

「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

multiple

第12話 汗をかいた。

アタシ、今から放送部になるわ。せっせとジェル状のサンスクリーン剤を塗り重ねる有紗の視線の先には、パイプテントの下でパイプ椅子に腰を掛けている放送部員たちが居た。長机の上に置かれたマイクの位置を調整したり、ミキサーを操作したりしているのが応戦スタンド中段からもなんとか見える。
「いいよね〜本部。でも先生とか生徒会とかが近くにて気が抜けなさそうかも」
愛らしいピンクのストローボトルからちゅーちゅーと水分補給をするナミちゃんの右隣で、直飲みステンレス鋼ボトルからごくごくと飲んで喉を鳴らした近藤さんが、ぷはっと一言。
「文化祭のときは演劇部にも手伝わせるくせに、体育祭の時は炎天下の応援席に放置っておかしすぎるよ!」
わりと長い一言だった。
乳液タイプのサンスクリーン剤を手にたらっと落としてしっとりと塗り重ねる。SPFの値が低いものを選んだので、こまめに塗り直さなければならない。ちなみにSun Protection Factorの訳である紫外線防御指数においてFactorは指数に対応するので、SPF指数というと紫外線防御指数指数なんて頭痛が痛い言葉になる。ここで幼馴染と家でぴこぴこゲームをしていた時の回想。『HIVウイルスのVってVirusだからHIウイルスウイルスになるでしょ。RAS症候群って言うんだってさ……あっ、ちなみにこの言葉の面白いところは、RAS自体がRedundant Acronym SyndromeでSyndrome症候群みたいに意味が重なっているところでね……RAS症候群のように自己言及しているような単語を自己整合語と言うのさ』わかったから面白いところを解説するのはやめて。
塗り終えてスッキリしたところをさっと手で払い、サンスクリーン剤をポーチに戻す。有紗といえばジェルを塗るだけにあきたらずスプレータイプのサンスクリーン剤を取り出して、しゃあしゃあと塗っている。あまりの豪快な塗りように有紗の左隣にいる神園さんや右隣の私にドコドコと当たる肘。そっとナミちゃん側に体をよせる形で、放送席を見る。
「個人的にはかなり大変そうに見えるな。段取りの確認をするたびに機材を持ち出して、持って帰って」
「あそこのスピーカー、すごく重そうだもんね〜。三つの足で立ってる、頭の重そうなやつ」
自席に戻ろうと段を上がっていたらしい田代くんが段上でぴたっと足を止めて、こちらに顔を向けた。
「アクティブスピーカーだな」
「あくてぃぶ……積極的スピーカー?」
「アンプ——音を増幅させる機械が内蔵されているスピーカーのことだ。スピーカーのコードをたどってみると電源にしかつながってないだろ。これがパッシブスピーカーになると、アンプを別に用意してつなげなきゃいけなくなる」
ほんとだー電源だけだー! とナミちゃんが大きく目を見開いて驚嘆している。その顔を見て口元を緩めている田代くんの背を指でツンツンつつく後藤くん。
「田代ォー、通路の途中で立ち止まるなって! 狭いんだってこの通路! 通り抜けようとして落下したら事故になるんだってこの高さ!」
「わーったわーった。分かったからその突き方やめろ。女子みたいできゅんとする」
きゅんって何よ、とだらだら話しながら席に戻る田代くんと後藤くんを皮切りに、次々と離席していた人たちが戻ってきた。体育祭のためだけに設置された特設応援スタンドが人々の段をのぼる音にあわせてガタガタと揺れる。「今聞いた!? きゅんとするだってよ!?」と興奮しはじめた近藤さんをナミちゃんに任せて、青空に向かってぐっとのび。一面の青に、ぽつんと浮かぶ白い雲。
「あんさー。今月は体育祭があるし、来月か再来月は読書週間があるじゃん。運動の秋、読書の秋……じゃ食欲の秋ってことで食に関するイベントがあってもよくない?」
ちらりと伺えば、有紗も空を見ていた。再び視線を戻して、雲のもくもくを見つめる。
「なに? お芋掘りとか?」
「懐かしー。でもそれってどっちかというと収穫の秋じゃん。もっとこう、食べるだけ食べる獰猛なイベントがいいわ」
「お月見団子祭とか?」
「いいじゃんいいじゃんそれでいいじゃん。今年はもう間に合わないから、来年やろう。次の生徒総会で意見を出して、それで来年、秋は月一で団子配給。一年生は団子二個で、二年生は団子四個で、三年生は団子八個。でも八個ってキリが悪いから三年生は十個で」
「あはは……十個って食中毒にでもなったら一発で死んじゃうね。生徒も学校も」
「死ぬ時は、みんなで死のう、ホトトギス」
ホトトギス、今は秋だよ、ホトトギス。

有紗の席をつめて座った神園さんが人文字用パネルをぱたぱた動かして色を確認していた。
「熱心だね、神園さん」
「え? あっ、これは動かしていたら涼しくなるかなって」
やるな、委員長。パネルを膝の上に置いて、神園さんは眼鏡をとってから花柄のタオルで額の汗をふく。再び眼鏡をぴしっとかけ直した神園さんの視線は、グラウンドにいる応援団とチアの輪にそそがれていた。
「柏野さんも後藤くんもすごく頑張ってるよね。前の練習のときより格段にうまくなってる」
「それ、有紗に言ったら素敵な笑顔で背中をゴスゴス叩かれまくると思うよ」
言いたくないなあ、と神園さんはやわらかに苦笑をする。
「……でも、こういう感じって本当に好きなの」
「こういう感じ?」
「みんながそれぞれ何かの役割もって、それを同時に果たして、調和する感じかな……人生の、人類の、歴史の縮図だって感じるの」
たかが体育祭の予行練習ごときに歴史が縮図にされてしまった! そわそわしている間にも、神園さんは穏やかに続ける。
「人文字も応援団もチアも最終的には引いて見た全景についてしか残らない。だから本当は誰がやってもよかったし、ほかの学校の生徒がこっそり忍び込んで私の代わりをしてくれても、きっとだれも気づかないでしょう。それでも、そうだと理解していたとしても、今の自分のために、今いるみんなのために何かをするということが愛しく思える。……大げさすぎるかな」
応援団長を務める高橋が両手に腰を当てて踏ん反り返り、なにか偉そうなことを言っているらしかった。輪の中心にいる高橋の元につかつかと三年生らしき先輩が近づいて、高橋の頭をがつんと殴る。頭を抱える高橋に対し有紗が指をさして大笑いをし、後藤くんがわたわたと有紗の指さしを止めていた。フハハ、高橋ざまあ!
「大げさなんかじゃないよ。そういう連帯を学ぶために、学校や行事があるんだと思う。ただ単に勉強をしたり、高校卒業程度の資格をとったりするだけなら、教室も綱引きもいらないし。すごく真っ当な心意気だと思うな」

グラウンド近くの屋外女子トイレから抜け出して、すぐそばの木陰でハンカチを畳んだ。昼過ぎの明るい日差しを受けて、重なる葉と葉の間から強い光が落ちてくる。子どものころはこうやって木漏れ日をじっと眺めているだけで幸せだった。友達とどんぐりを拾ったり葉や花を集めて押し花にしたりするだけで満足していた——指に触れる感覚がありはっと気づく。富田くんが私の隣にふらっと立って、笑っていた。
「だれか待ってる?」
「ナミちゃんと近藤さん」
「連れションって文化、本当になんなんだろうね。まあ俺もそうなんだけど」
二人で並んで、屋外トイレに伸びる列を眺める。このうち、本当にトイレに行きたかったのは何人なんだろう。吹いた風によってわずかに砂埃が立つ。葉が揺れている。
「ねー、ミユちゃん。むちゃくちゃテンションを下げること、聞いてもいい?」
「もともとテンション高くないからいいよ」
あはは、と二人で目も合わせずに笑いあう。
「体育祭が終わった後のさ……おつかれーみたいな雰囲気とか、担任にアイスやらジュースやらを奢ってもらう感じとか、教室の黒板に寄せ書きみたいに落書きを描いてそれを背景にクラスみんなで写真を撮るみたいなアレがすごくイヤなんだけど、この学校もそういうのある?」
「私のクラスだったら、それに加えて打ち上げがあるよ」
「死ぬかー」
でも今の時点で誘われてないなら大丈夫なんじゃない? とでたらめなことを言いながら、頭を抱えた富田くんの背をぽんぽんと叩く。
「どうせあと一年半だよ」
「ミユちゃん、もう本当に大好き」
「リバイバル?」
富田くんは頭を抱えたまま、明るい声音で答えた。
「しないよ。迷惑を掛けちゃうから」

応援席に戻っている途中でくるくると回りながら歩いていたナミちゃんが案の定、人とぶつかった。ナミちゃんと近藤さんがあわてて頭を下げ、上げたところで、ぴたっと動きを止める。
「なんだあ、ただの秋永くんだー」
「あらまあ。謝って損しちゃったね」
「いや謝ってくれよ。ぶつかったんだから」
秋永くんはうんざりしたように肩をすくめて、それからちらりと私の方を見た。無言の圧力に屈してすぐさま会釈を返す。
「あっ、ごめんね秋永くん。ナミちゃんが陽気に踊っていたばっかりに」
「べつにいいけど。浪川はチアやらないの」
「七海は衣装作りで十分なのだー! どやっ」
にこにことするナミちゃんの隣で近藤さんが応援スタンドの脇に集まって休憩をしているチアたちを眺めて、うっとり。
「フヒヒ……正直なところを申し上げますと……私たちの組のチアが一番だよねー! チアも衣装も可愛くて捗るゥー」
何が捗るんだろう。「でしょでしょ」と近藤さんに喜びのタックルをしはじめる猛獣ナミちゃんと共に謎を放って、秋永くんと一緒に歩き始める。
「放置していいのか」
「近藤さんがいるから大丈夫」
そーか、とだけ返して秋永くんは視線うつむきがちながらに口を固く結んだ。と思いきや顔をこちらに向けてペパーミント漂う爽やかな笑顔を浮かべた。
「本山はなんでやらなかったの、チア。柏野もいたのに」
「私みたいな情熱のない人間がやるものじゃないから。それに有紗も最初は断ってたんだよ」
「そーなんだ。意外だな」
「大舞台自体は好きらしいけど、代表とか幹事とかは嫌なんだって……部活もあるしそういうのマジで無理ーって断っていたんだけど『でもおまえ部活サボってるだろ』『今年の応援団長って超男前らしいよ』の言葉に籠絡されちゃったみたい」
渋々とチアを引き受けることになった有紗に追従する形で後藤くんも応援団の仲間入りを果たし、そして迎えた顔合わせ当日。有紗が『超男前応援団長』として目にしたのは半裸の上に学ランを羽織って腕を組む高橋の姿だったらしい。『学校を精神的苦痛で休むのはこれが初めてだわ』なる電話越しのコメントが未だに耳から離れない。
「秋永くんは——サッカー部だもんね。応援団はやる暇がないか」
「悪いけどまったく部活と両立できる気がしない。勉強もやってたら空き時間ないし」
「部活と勉強を両立しているだけでも偉いよ。秋永くんは成績もいいし」
両立ねー、と秋永くんは歩くうちに近づいてきた応援スタンドの方を見てぼんやりと呟く。
「本山はいつも何時に寝てる?」
「十時から十一時の間かな。学習計画の進捗によってはもう少し遅くなるけど」
「やっぱりそれぐらいが適正だよな……俺、平日はだいたい二時ぐらいに寝てる」
思わず止めそうになった足をなんとかそのまま動かす。
「サッカー部って朝練があったよね。家、近いの?」
「五時に起きてる」
ぽたりと水が砂の上に落ちてしみを作った。歩いてゆくうちに出来たしみは遠ざかり、だらだらとかいた汗を手でぬぐって秋永くんは髪をかきあげる。
「だからさー、今年の夏はすごく寒かった」

バスを待っていたところで、ずるずると引きずるように東間くんと小畑くんがやってきた。二人とも気だるい様子でよどんだ挨拶をかわす。
「祭りは準備が楽しいって、おれもそう思うけど、体育祭に関しては本番の方が楽しいよね」
「わかる……文化発表会本番当日の疲れが連日ぐだぐだと続いている気分だよ」
うんうんと頷きあう私たちに対し、東間くんは大あくびをして頭をぶるぶると横に振った。
「結局、パネルを動かすか行進の練習をするかぐらいだからな。競技の練習は一着のランナーはここに座れだの、こうやって退場しろだの……ちょっとぐらい走らせてくれたっていいだろ」
「東間くんは確か全部走る競技だったよね」
「まあ……そういうおまえもそうだろ」
「うん。走るのはシンプルで楽しいから、ルールを確認しなくていいし」
体育の時間に測ったタイムの問題もあった。走れる人が走らないのは現世において悪魔の仕業とされていた——ひんやりと吹きつける風に小畑くんがわずかに震えて両肘をさするように隠す。
「小畑くんは騎馬戦に出るんだよね」
「あはは、一年のときに経験したことがあるからって、つよく推されちゃって……本当はやったことのない競技をしたかったんだけどなあ。障害物走とか玉入れとか」
「そんなの宝の持ち腐れだろ。おまえは素直にタイヤ引きリレーと騎馬戦に出ときゃいいんだ」
そりゃ東間よりは体格がいいけど、と呟く小畑くんを東間くんがキっと睨みつけるうちにバスがやってきた。そっぽを向いた東間くんは早々とバスに乗車し、私もそれに続く——前に小畑くんの方を振り返る。
「体、冷やさないようにね」
「あはは、お母さんみたいなことを言うね、本山さん。確かに涼しくなってきたけど、まだ十分に暑いから大丈夫」
支払いを済ませてバス後方に向かう。すでに文庫本を開いていた東間くんの隣に座る。バスの窓から笑って大きく手を振る小畑くんを見つけ、腰を浮かせて小さく手を振り返す。本を膝の上においた東間くんが、舌をべーっと出し顔に親指をつける形で両手を広げぴろぴろと指を動かしている。なんだそのコミカルな仕草。驚いているうちにバスは動き出し、小畑くんの姿が見えなくなる。バスは車の波に取り込まれてゆく。腰をようやく座席にだるっとおろして、私は小さく呟いた。
「だよねー」