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「好き」の不条理によって女子高校生が変人と交際するオンライン小説です。

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第10話 後輩とデートをした。

涼しさの中でセミが鳴いていた。シネシネシネシネシネ……朝から死を請われながら、私は共同玄関からインターカム親機を操作する。ピコピコとテンキーを押して繋がった友人に「おっはようございまーす! 放送協会の者ですー受信料の件でお伺いしました〜!」と声をかける。ぶちっと切れる通話。共同玄関の電気錠を見つめる。静穏。再び勢いよくテンキーを叩いて繋がった先に呼びかける。「黙って切らないでよっ!」シネシネシネシネ……マンション前の道を歩くおじさんのくしゃみが響く。『カミユ先輩? おはようございます。姉貴から聞いてるんで、どうぞ入ってください』友人の弟が出た。

「二年から夏期補習は強制参加っても意味わかんない。そんなの馬鹿だけに受けさせときゃいーよ。こっちにはこっちの予定があるのにさぁ」
終業式の意味がないわ〜と頬杖をついてげんなり呟く元子ちゃん、の対面で正座を崩して目前のガラステーブルに上半身を預ける佳美優ちゃん。足がしびれた。
「カミユのとこは自由参加なんでしょ。いいなぁ」
「まあ私は参加してるけどね。午前中だけだし」
元子ちゃんはガラスコップに結露した水を指でちょんちょんとつつく。弾けた水滴はゆるやかに垂れてコルク製コースターにたまってゆく。
「予備校とか行かないの?」
「短期で夏期講習があるからそれには行くよ。でも基本的には通信教育ベースでやって、夏期や冬期、あと春期にちょこちょこ受けてゆく感じかな」
だるいなー、だよねー、と見合わせて笑う。ここに有紗がいたら「ハア? だるいとか言うな! テンションさがるがな!」と怒鳴られて後藤くんが小突かれるところだった。後藤くん、想像の中でも報われなかった。
進路の話からだいぶ逸れつつテキサスホールデムでポーカーをし始め、また脈絡もなく最近のドラマであるとか雑誌のモデルとだれそれが付き合っているだとか他愛もないことに続き、じつはこの飲み物、健康に良い水素水なんだよ、んなアホなの調子で笑い合い、その他近況について交わし合っていたところで元子ちゃんがひそっと切り出した。
「カミユ、彼氏できてないの?」
そんな宿題みたいな言い方をされても。首を横にふると元子ちゃんは大げさにため息をついた。
「高校二年生、共学、夏。なのに恋人がいないなんて、それ驚愕」
「べつに共学は恋愛予備校じゃないよ。だいたい元子ちゃんはどうなのさ」
「あれ? 言わなかったっけ。あたし、彼氏できたよ」
それ驚愕。冷房がガンガンきいている最中、元子ちゃんは手でゆっくりと己を仰いで悠々とこちらを見た。
「まー最近のことだけど。同じテニス部のやつで、なんかまー、くっ付いちゃいました」
何がなんかまーだ。そんな軽さ、あらまーだ。いつのまに 顔まで紅くしちゃって。もうこのリコペン! の調子でざくざくと話を掘り下げてゆく——高校からテニスを始めた初心者同士で励ましあっているうちにぐいぐいと距離が縮まったそうで、どちらも日焼けで肌が真っ黒なので今や異邦人カップルとして校内で注目を浴びているらしい……高校生はどうしてそんなに黒いネタが好きなの?
「付き合ったからといって、特にそー変わりはないんだけども。うん、カミユも彼氏作ったら?」
「特に変わりがないって断言したあとに勧められても」
「そー言われるとそーだけども。なんだろな。単なる友達として一緒に過ごしてた時より、時間に対する充実感というか、感覚的な密度が違うような。『あー、今の自分って超青春してる』みたいな気持ちに浸れる?」
某幼馴染に聞かせたらそれだけで一時間は語ってくれそうな話題だ。『おそらくそれはフィクションによって築かれた青春のイメージと照らし合わせた上での印象だろうけどさ。もしその比較対象が戦争や闘争を青春として書いていたら、彼氏と一緒にいたり友達とどこかに出かけたりすることはいったい何になるのか、気になるもんだね! んー、虚無?』三分も聞きたくないなこの話。
「今って今だけだからね。やれることやらなきゃ損だ損だアンダーソン」
だれなのアンダーソン。
「彼氏か。でも私、相手とかいないしな」
「ウチの弟とかどーよ」
両手を突き出し、やんわりと全力で手の平を左右に振った。
「結構です」
「えっ、結婚? カミユ、ノンストップなの?」
有紗かよ。

『帰る前に弟と会って。なんか二人で話がしたいってさ』にやにやとしながら私の背中をバンバンと叩いて私を見送る元子ちゃん、有紗かよ、はひとまずおいといて私は部屋の前で一呼吸をする。扉を二回ほどノックすると、しばらくして扉の向こう側から三回ほどノックが返ってきた。もう帰りたい。
「カミユ先輩、おはでーす!」
観念して扉を開けた先には、半袖のセーラー服を着た男子中学二年生が両手を広げて立っていた。ドアノブにかけていた手を離すことなく、そのまま扉を閉める。何も見なかったことにしよう。こんな悲劇は高橋の存在だけで十分だ。
友人宅では室内においても自動扉を採用しているらしかった。現に私が閉めたはずの扉がひとりでに開いた。しかも床にはコンベヤーが設置されているようだ。いつの間にか、遠ざかりたくてたまらなかった友人の弟、美鶴くんの前に正座をさせられている。正座のまま、おそるおそる振り返ると扉は固く閉ざされていた。オートロックマンション、何もかもオートでとっても高性能。
「ちょっとカミユ先輩、よそ見をしないでくださいよ!」
首をごきっ、ごきっ、とぎこちなく動かして正面を向くとスカートの端がかかった美鶴くんの綺麗なひざ小僧が見えた。とっさに関衝を押してぐっと力む。朝食、抜いてきてよかった。
「僕の顔を見て逃げ出すなんて失礼すぎじゃないですか」
「顔じゃないよ、顔の問題じゃないよ美鶴くん」
どこの問題なんですか、と美鶴くんは足を踏み鳴らす。そのたびにふわりふわりとスカートが揺れる。惨劇がここにある。
「ふふふん、野球観戦で姉貴と賭け事をしてゲットしたんすよ。姉貴の制服! いやー、姉貴がスポーツバカのガタイバカでよかったよかった」
バッカカカと笑う美鶴くん。姉の制服を着て仁王立ちしているバカだってバカだ、のツッコミを吐き気とともに抑えて私は足を崩した。
「あいかわらずだね。女装趣味」
「その蔑みの目! やめてくださいよ。今どき女装なんてファッションの一つでしょ? それをテーマにした雑誌だって書店で並んでいるし、テレビでも女装したオカマが活躍しているじゃないですか。SNSなんかでも女装野郎が自撮りをアップしたり動画を配信したりしてちやほやされてるんですから。ふつーですよ、ふつー」
そういえば通販通ツー富田くんが『メンズスカート専門の通販サイトを見つけてさ』と話していたことを思い出す。そういうものなのだろうか。息を整えて美鶴くんの全身を見てみる。ムダ毛を剃っているところもそうだが、制服に皺がよっていなかったり、靴下の左右の高さがぴったり揃っていたり細かく気を遣われているのが一目見てわかる。でも肩のあたりが窮屈そうだし踏ん反り返っているわりに胸部は平たいし何より堂々とつま先とつま先が外側を向いて開いているので一目見て男だとわかる。本当に中性的だと言えるのは、皮肉にも何も手を施していない彼の顔だけに思われた。
「ちょ、ちょっと、何見つめてるんすか。僕のこと好きなんですか」
東間くんかよ。
思い出しげんなりをしていたところで、美鶴くんが私の前にしゃがんでじっと目を見つめてきた。
「なんなの?」
「見つめ返しです」
うわあ、この子よく見たら顔の産毛まで剃ってるよ。
「カミユ先輩にかわいいねと言われたその日が、僕の女装記念日なんです」
そんな記念日は廃止してしまえ。
「美鶴くん、かわいいのはわかるけど、ところで用って何?」
「本当に分かってるんですかー。僕の可愛さはこんなものじゃないですよ。写真データあるんでいくらか送りましょうか」
「そこは掘り下げなくていいから。わかってるから」
口を尖らせつつもしゃがんでいた美鶴くんがぺたんと尻餅をついて視線の圧がなくなった。
「たいした用事じゃないんですけど、最近カミユ先輩と直に話してなかったなと思って」
座っていてもわかる。美鶴くんもずいぶんと背が伸びた。まだ私よりは低いけれど、あと数年で私より高くなるだろう。
私は本当に薄情で人に興味がない。
「あっ、あとですね。カミユ先輩にちょっとしたお願いがありまして……迷惑じゃなかったらいいんですけど」
珍しくためらっている美鶴くんを見て、私はぴんと背筋を伸ばした。
「迷惑なんてそんなことないよ。よほど無理なことじゃなければ断らないから。かわいい後輩の頼みだし」
「えへえへ……明日なんですけど。僕とちょっとだけで良いんで付き合ってくれません?」
「何? ブラでも買いに行くの?」
そこまでの段階には進んでいないですよ、と美鶴くんは肩をすくめた。
「ネイルを見に行きましょう」

「ばいばい」「また明日」「今からさ」の声と椅子を引く音が乱れる中、肩を叩かれる。振り向けば、頬をぶにっ。見上げると私の頬に指の腹を押し当ててにこにこしているナミちゃんと扇子をぱたぱたさせて涼しげな有紗が立っていた。
「みゆちー、今日どうする? どっか食べに行く? 食堂いってぐだぐだする? 演劇部を茶化しにいく?」
「ああ、ごめん! 先約があって。もう来てると思うから、すぐ行かないと」
「来てるって他校のひとー?」
頷いて私は立ち上がり、ほぼ何も入っていない軽い鞄を持ち上げた。
「後輩……というより友達の弟と買い物に行くことになってて」
私の回答に有紗とナミちゃんがゆっくりと顔を見合わせて、じっくりと見つめ合い、三回ほど瞬きをしたあとで、ほぼ同時に私の方を向く。教室内の喧騒はまばらになってゆき、なんだかひっそりとする。私の隣に存在していたらしい何かが、立ち上がって私たちの沈黙の中に忍び込む。
「それってデートってこと? 本山さん」
存在が無遠慮な東間くんの言葉を皮切りに有紗とナミちゃんが目をかっと見開いて私に詰め寄った。
「デートなのみゆちー!?」
「デデデデデデー!?」
「デートでもデデデデデデーでもないよ。買い物の付き添いだよ、付き添い」
はあはあと息を荒げる美少女二人に囲まれて、こちらもはあはあとする。はあと。私がうんざりと東間くんの方に視線をよこすと。
「でもデートってわりといろいろな使い方をするね。女子だと同性同士で出かけることもデートって言うみたいだし」
突然に言葉の解釈を広げ出した。
私が言葉を失っているところで、先ほど教室の後ろでお茶を噎せていた田代くんがどかどかとやってくる。
「日付って意味もあるよな!」
それに続いて小畑くんまでこそこそとやってきた。
「ナ、ナツメヤシの実……」
英単語の復習大会が始まっていた。

日光が正面から照りつけ、じりじりとした熱気がアスファルトの上を漂っていた。行き交う人の量の多さに額の汗を拭う。隣でぼそっと呟かれる。「やっぱりスカートっていいなあ。僕もスカートを履いてきたかったですよ。もー暑くて暑くて」私たちは早歩きながらに外国初出のお菓子について語っていた。
「カミユ先輩ってクリーム派ですか? クッキー派ですか?」
「いや、ふつうにどっちも好きというか、クリームとチョコクッキーでワンセットじゃないかな」
「ええっ。僕んとこはクリーム派とクッキー派で派閥が出来てますよ。僕と母がクリーム派で父と姉貴がクッキー派です」
「それってクッキーからクリームの部分を剥がして食べるの?」
「当たり前じゃないですか。結構、そういう食べ方、多いみたいですよ。前にネットで見たんですけどクッキーから自動でクリームだけを取り除く機械を作っている人がいましたから。その人はクッキー派なんですね」
「お、面白い食べ方だね。牛乳につけるとか砕いて食べるとかならわかるんだけど」
「ああ、クッキーを牛乳に浸すためだけの器具も作っている人がいました」
「むだな効率化だね」
などと話しているうちに店内に入る。冷房の効き具合に汗で濡れた部分からみるみると冷えてゆく。ぶるっと震えているうちに美鶴くんがきらきらと目を輝かせて私の肘をつっついた。
「ネイル専門店に来るなんて、僕もワンランク上に来てしまいましたね! これはランジェリー・ショップに入れる日も近いかも!」
ああ、引いたはずの汗が目の中に入ったかな……太陽が眩しくて、私は美鶴くんの肘をつつきかえした。

入店後すぐさま会員登録を済ませて、ぶらぶらと店内を散策する。清潔感のある白を基調とした棚に色とりどりのネイル用品が並んでいた。あーだこーだ言いながら、美鶴くんと商品を見てみる。
「スカルプチュアって爪が痛むからよくないらしいんですけど、そうなんですか」
「うーん。私もスカルプチュアはしたことがないから分からないけど、そもそもあれってあんまり付け外しするものじゃないからね。付けるのにも外すのにもお金がかかるし、学校に通っているうちはネイルチップでお洒落するのがふつうかな」
ありがたいです、と美鶴くんは潤んだまなざしでこちらを見た。
「姉貴に聞いたら『爪に何かをくっつけたら運動するときひっかけて割れそう。あとそーいうの、なんかカビとか生えることがあるらしいよ。やめときな、かびるんるん』みたいなことを言ってくるんですよ。もう雄ですよね、雄」
本当に雄なのは美鶴くんの方なんじゃ? 突っ込む間もなく彼は私の手先をぴしっと指した。
「ところでカミユ先輩、爪綺麗ですよね。なに塗ってるんですか?」
「え、いや、特に何も塗ってないけど」
「でも明らかに姉貴とは違う形の爪じゃないですか……姉貴は新人類だった!?」
いつの間にか旧人類サイドにされつつ、私は自分の指を手のひら側に曲げてぼんやりと眺める。
「形は爪やすりでラウンドになるように削ってるよ。こう、爪の両端を削って丸くする感じで。あとは粗い爪磨きで表面を削って、細かいもので磨いて。塗るとしたらキューティクル・オイルぐらいかな。ささくれの予防として塗っているだけだけど」
爪先だけで人間性を計る人が身近にいるから気がぬけないし。ちらっと美鶴くんを見れば彼は私の顔をじりじりと見つめて、くわっと叫んだ。
「むちゃくちゃ手入れしてるじゃないですか! うちの姉貴はゴリラですか!?」
「落ち着いて……ゴリラだって爪の手入れぐらいするかもしれないし」
だったら姉貴はゴリラ未満じゃないですかと怒鳴られる佳美優ちゃん。生きることは不条理だ。

ベースコート、マニキュア、トップコート、エナメルリムーバー、ネイルシール。ネイル用品のなかでも基本中の基本を買い集めた美鶴くんはほくほく顔で「付き合ってくれたお礼にいいものをおごりますよ」と家近くのコンビニエンスストアで棒アイスを買ってくれた。それから私の家まで歩く。送ってくれるらしい。まだまだ明るいが、少しずつ夜の時間が近づいているのが弱まる日差しからわかる。アイスの袋を開ける。人気の少ない道をアイスを舐めながら並んで歩いてゆく。
「美鶴くん、DIYって知ってる?」
「ああ、パソコンで音楽を作るやつですよね」
「だよねー」
夕日の眩しさに考える——いつまで美鶴くんは可愛い男の子でいるんだろう。風が吹いてどこからかちりんちりんと清涼な音が聞こえた。いずれ仕舞われて埃をかぶる音だ。
「カミユ先輩」
私たちは同時に立ち止まっていた。目の前には私の家があり、アイスはすでにただの棒切れとかしている。私と美鶴くんはまっすぐ向き合う。美鶴くんがにかっと笑って続ける。
「僕はありがとうございますなんて言いませんからね」
一歩だけ後退して、背を向けた美鶴くんが、こちらに顔だけを向ける。
「今日という日を作ったのは、僕とカミユ先輩で半分半分ですから。イーブンでしょう」
また一緒に遊びましょう! 全力で走り去る美鶴くんの背を見ながら、私はそのまま玄関扉の前で立ち尽くす。吹く風によってあたたかな夕飯のかおりと、それから鮮明な色が運ばれてくる。空の赤さから浮き立つように、夏の緑が、いずれ寂れ落ちる緑のように……ふとして私は持っていたアイスの棒に視線を落とす。アイスは当たっていた。