やわらかよろず

雑記です。

小説が完成した。詩も投稿した。5月は短編とはいえ小説を3本も公開できてよかった。ゴールデンウィークがあったとはいえ。ゴールデンウィークを創作黄金週間と名付けて本当は7タイトルぐらい書くつもりだったとはいえ。いえ。いえ。

在宅勤務がなくなりそうでゆるせないという理由で外出をすることに決めた。しかし外出できそうな用事がない。それで先週の土曜日は公園に行った。今城塚古墳公園。公園内に埴輪がたくさん並べられている。隣にあるサニーサイドという有名なパン屋にも行って埴輪パンを公園で食べた。今城塚古代歴史館では入館時に利用申込書を書かされた。無料施設とは思えない本気の展示。ハニワ工場公園もついでに行った。ハニワ工場館でも入館時に利用申込書を書かされた。デカい埴輪窯を見ることができた。しかしものすごくよい天気だった。帽子を貫くぐらい日が照りつけていた。おかげでひどい頭痛になって日曜日はぐったりとしていた。土曜日よりもさらに晴れていたというのに。在宅勤務ができなくなる最大の要因である休暇取得も平日に1日消化した。気持ちのよい青空だった。安満遺跡公園に行った。ものすごくオシャレなドデカい公園。安満遺跡を見たかったがなんと2021年の春まで見学できないらしい。公園内にあったSUNDAY’S BAKE 569という飲食店でピザを食べた。公園内でピザ。しかも室内は満席だったので日陰のテラス席でピザ。ドミノピザってものすごく安いし分厚いんだなと思った。そして城跡公園にも行った。晴れわたっていたせいか何でもない庭園風の池が異様に美しく見えた。何枚も写真に撮ったがあの感動はついに収められなかった。あんなにきれいだったのに。歴史民俗資料館でも入館時に利用申込書を書かされた。この利用申込書にはいつも鉛筆が備えてある。どうして鉛筆なんだろう。鉛筆は消毒しやすいのだろうか。久しぶりに使う鉛筆はいやな感触がする。帰りはROUTE271とジュエボワットに寄った。そこそこ評価の高いパン屋。並んだり並ばなかったりした。というわけで4つの公園に行った。全部高槻市。どうなっているんだ高槻市。ヘンな公園がありすぎじゃないか。本当は先週の日曜日に行こうと思っていた摂津峡公園もまだ控えている。あくあぴあ芥川という無料施設も存在するらしい。高槻市ってすごい。自分が生まれるならこういうところに生まれたかった。福岡市なんてさ。福岡市なんて・・・福岡市だからな・・・。

これは2020年5月29日に書いた。


小説が完成しそうだ。昨日になってやっと3時間も書いた。あと1時間や2時間があれば完成する。しかし昨日の状態を作り出すために10日間をムダにしたことを考えると油断はできない。ムダにしたとはいえ詩を投稿した。給付金10万円の書類も出した。懸賞熱がふたたび出て何口か応募した。マンガやエロゲの予約もした。ゴールドカードを申し込んだ。いろいろとやっているうちに大阪の緊急事態宣言が解除された。できることも増えるだろう。たまごサンドを食べにいくとか。

今年中にやりたいことをやるためにやるべきことを書き出したらもうダラダラできる時間がないことに気づいた。憂鬱だ。在宅勤務はなくなりそうだというのに。今は週1回で在宅勤務をしている。この在宅勤務でわれわれにできることはない。実質の休暇。今週は忙しかった先週の分をあわせて2回の在宅勤務をもらった。来週も1回ある。月曜日だから実質の3連休だ。遠出はできないとはいえ心が休まる。余裕がうまれる。楽になれる。ハッピーである。しかしなくなりそうだ。在宅勤務を続けるとしても社員は2週に1回になるかもしれない。もしかしたら社員だけ在宅勤務がないかもしれない。夏季休暇があるから。期間限定で7日をとらないといけない。特別休暇もある。これも期間限定で1日とらないといけない。さらに年次休暇もとらないといけない。5日分は10月までに休暇をとる日を決めないといけない。昨年分の持ち越した有休は今年度中に消化しないと消えてしまうからそれもとらないといけない。私の持ち越し分は残り10日だ。来年のことを考えると今年付与された分も消化しておかないとまずい。年末年始は公休日。休日出勤をした場合はほぼ必ず振替休暇をとらないといけない。そして仕事は決まった日に忙しくなる。休暇を取れる日が実質決まっている。つまり在宅勤務を続けると休暇の消化が難しくなる。そんなバカな。いや理屈は正しい。正しいのだがそんなバカな。私だったら在宅勤務と並行して頑張って休暇を消化する。仕事をしなくていい日を拡充する。それの何が悪いのか? 大して仕事のないヒマな日はいくらでもあるというのに。残業がないときの手取りは14万円だった。残業があっても月に数時間だから手取り15万円だ。いくら楽な仕事だとはいっても1日8時間を働いている26歳の手取りが14万円なのはおかしい。今の在宅勤務程度に実質の休暇がないと割りにあわない。ゆるせない。ゆるせないぞ。

やわらかよろずのテキストを「新型肺炎」で調べると1月31日にはすでに怖がっていた。おそらく1月24日の時点で。工場見学のついでに春節祭に行く予定をやめたのだった。今もおそろしいと思っている。ここ数か月はずっと家で大人しくしていた。だが「積極的に外出をしよう」と思った。ゆるせないからである。在宅勤務がなくなるなんてゆるせないからである。ワクチンもできておらず何一つ解決していないのにすべて終わったかのように外出をしまくれば必ず第二第三のクラスターが発生して緊急事態宣言の必要性が出てくるだろう。そうすれば在宅勤務も週1になる。みなが調子にのればのるほど患者数も死者数も増えて在宅勤務の回数も増えるだろう。株価も下がって欲しかった株を安く買えるだろう。景観もスッキリするだろう。私と愚民の連携プレイだ。ゆるさない。本当にゆるさないからな。仮に人も経済も死ぬ未来が待っていたとしても私や愚民のせいでは決してない。宣言解除を急いだ当然の結果だ。私の隣の席の先輩は数週間続く「風邪」の影響かは知らないが今週も1回休んだんだぞ。ぜったいぜったいにゆるさないからな・・・。

これは2020年5月22日に書いた。


先週中に完成させると宣言していた小説が5月5日の夜11時に書いた時点からまったく進んでいない。当時の執筆の勢いを失ってしまった。詩はきちんと投稿した。投稿やコンテストとは別に詩を書いてサイトに載せることを考えている。「小説家になろう」にも投稿するかは悩ましいところだ。投稿した作品一覧がとんでもないことになる。なんにせよ一コンテンツとして公開するにはある程度の数が必要だ。じっくりと考えるとする。

創作黄金週間はろくでもない結果で終わってしまった。私は創作をせずに何をしていたのだろうか。まず蒸しパンを作っていた。ホットケーキミックスを手に入れて牛乳とヨーグルトとチーズと卵を混ぜて電子レンジでチンしてチーズ蒸しパンを作った。牛乳とホットケーキミックスを抜いてチーズケーキも作った。おいしかった。それとテイクアウトでいろいろと食べた。やはりテイクアウト専門ではない個人店のテイクアウトは量・味・値段の点で非常にガッカリとさせられる。コメダ珈琲のテイクアウトはよかった。ふつうにおいしかった。もともとテイクアウトをやっている店もよかった。「おはぎの丹波屋」のあべ川がリピートしたくなるおいしさだった。しかしそろそろ店内で出来立てほやほやのたまごサンドを食べたくなってきた。ずっとたまごサンドのことを考えている。ホットサンドメーカーを使ってたまごサラダハムサンドを作りもした。おいしかった。ゴールデンウィークが明けてからもたまごサンドのことを考えてファミリーマートに行くと「たまごづくしサンド」という魅惑の食べ物が売っていた。3種類のたまごサンドを楽しめる。たしかスクランブルエッグとたまごサラダとたまご焼き。薄味。

たまごサンドのことを考えていたから創作ができなかったのか。答えはおそらくNOだ。おそらく。私はずっと体調が悪いらしい。さっき気づいた。今週はずっと熱っぽくて頭痛がする。そして4月27日ぐらいにも熱っぽさと頭痛があった。ゴールデンウィーク開けも頭痛はないものの熱っぽい気がした。創作黄金週間中は特にだるさを感じなかったものの「夜が暑い」から集中できないと言って冷房を入れ始めた。よく考えてみると身体が熱かっただけではないか。私と同じ時期に頭を抱えていた隣の先輩もここ最近は休みがちだ。いやいつも休んでいるのだが・・・。彼は今日の昼休みも体温計を使っていた。希望の温度には達しなかったらしく最後まで居た。みながせいぜい5連休のところを彼は10連休ほど休んでいるため他の社員は不正を疑っている。私には先輩の気持ちがわかる。熱を感じたり感じなかったりでまったく癒える気がしないのだ。しかし先輩と私が同時に休むと仕事が円滑に進まなくなる。休めない。本来なら先輩も来るべきところをひとりで休日出勤した。なぜか残業まで押しつけられた。なにもできない在宅勤務の日に起きたミスまで押しつけられそうになった。私も彼の不正を疑っている。

これは2020年5月13日に書いた。


ドット絵を更新した。朝から小説を書くとあんなに念じたのに夜の9時から書きはじめた。しかもノれなくて1時間で止めた。ドット絵を描くときと同じ時間しか作業しなかった。こうして創作黄金週間は終わった・・・。

30日 なし
 1日 短編小説1本
 2日 ドット絵2枚
 3日 ドット絵1枚
 4日 短編小説1本
 5日 ドット絵1枚
 6日 ドット絵1枚

短編小説2本とドット絵5枚。毎日更新できたときと同じ量を公開できたことになる。問題は量ではなく質だ。どれも1時間から数時間で完成させたものばかり。本当は長編小説を完成させて公開するつもりだったというのに。改めて反省して改善点を洗い出す必要がある。とりあえず今書いている短編小説は今週中には公開したい。1万字を超えるから久々に「やわらかよだつ」のサイトでも公開する。さよならゴールデンウィーク!

これは2020年5月6日に書いた。


5日。朝から小説を書くと決めて7時40分から書きはじめた。夜の7時40分から。そして11時に諦めた。「完成するかもしれないが絶対にミスをする」この時間のあいだに5000字ぐらい書いていた。うう。このペースならせめて夜の6時ぐらいから始めていれば完成したのに。どうして朝にやるといって夜にやっているのか。仕方なくぬいぐるみを片手にドット絵を描いて更新した。6日こそは! 6日こそは! 6日こそは朝から書きはじめるぞ!

これは2020年5月5日に書いた。2回目。


4日の反省。5月4日の23時56分に小説を投稿した。投稿した。投稿したはいいが誤字に気づいた。「最下層」が「最改装」になっている。3か所も。「さいかそう」を「さいかいそう」と打っていたらしい。「1012020f」を打とうとすると「10120220f」になる謎現象と同様のものが発生したと思われる。謎現象。試しに「さいかいそう」で変換したら「再改装」になった。どこから出てきたんだ「最改装」。というわけで5日の0時4分になってから誤字を修正した。うう・・・。他にも誤字があるかもしれない。早いうちに書き終えていれば見直せただろうに。夜が暑い問題はエアコンをつけることで解決した。思いだしてみると1年前の広島では4月からエアコンをつけていた。しかもコタツもつけていた。4日はエアコンをつけたことによって無事に夜の8時から小説を書きはじめて完成させることができた。どうして朝から書かないのか。いったい何をしているのか。わからない。思いだせない。昼寝をしたことは確かだ。5日こそは昼寝をせずに朝から創作をする。そのためにも今から寝る(0時30分)

これは2020年5月5日に書いた。


書いたぞ。23時56分!『苛性マニュスクリプト』

これは2020年5月4日に書いた。


これが今日1日の成果。24時間を与えられし人間の限界。
天王寺動物園で購入したキーウィのぬいぐるみ
このままでは創作黄金週間がドット絵を1枚や2枚描くだけで終わってしまう。今日は昼寝をしてしまった。じつは昨日も昼寝をしていた。あとはフリーセル。フリーセルとマインスイーパーは1日中やれそうな気がする。小説も書いてはいる。「明日こそは小説を更新するぞ」という意気ごみはウソではない。意気が消えてごみが残っただけで。ふだん文章を書くときはきまって夜なのもあって朝や昼には手がつかない。しかし最近の夜はとにかく暑い。朝や昼よりも暑い。私がまだ夢を見ていたころには30日から6日のあいだに7タイトルを公開する予定だったのに。3日の時点で1タイトルとドット絵3枚。現実はつらい。夜は暑い。

これは2020年5月3日に書いた。


イラストページを更新した。持っているものをドット絵にする。2枚。けっして「今日は更新するものがないしテキトーにドット絵を打てばいいか」と思ってそうしたわけではない。前からやりたいと考えていたことだ。前からやりたいことだったが本当は小説を公開するつもりだった。暑くて小説を書くどころではなかった。仕方なく夜の9時からぬいぐるみを片手にドットを打つことに。2枚で2時間半も掛かった。スヌーピーがとにかく難しい。実際には正面から見ると口も眉毛も見えなければ毛がフサフサしていて片目すら隠れていた。わけがわからない。現実にあるものを観察してかたちにするという点でよい練習にはなりそうだ。今後はアイキャッチ画像を作成できるぐらいの数を目指して更新したい。

明日こそは小説を更新するぞ。

これは2020年5月2日に書いた。


創作黄金週間は毎日更新すると言っていたのに初日(30日)からつまづいた。完全に私のミスだ。動画の生配信を見ていて30日に上げる予定だった小説を当日中に書き終えられなかった。とりあえず1日は1本公開した。百合小説。仕事から帰ったあとに1日分をもう1本書いて公開すればセーフだと思ったが体調の悪さがぶり返してきた。というより社員の体調がみな悪い。隣の席にいる先輩は37.1度以上の熱で帰ってしまった。熱が出て休んでいる人もいる。私はまたもや頭痛だ。熱っぽくもある。今はコーラをがぶ飲みして落ち着きつつある。ふだんからカフェインを断っていれば紅茶飲料やコーヒー飲料が頭痛薬になる。とにかく計画どおり2日~6日の出勤はなさそうだ。家にこもって創作するぞ。そして完成しなかったときの保険のためにこのページを更新しておく。

これは2020年5月1日に書いた。


体調が悪かった。先週。ちょうど業務を教えることになっていた派遣社員が熱のこもった咳をしていた。水曜日から頭痛になって頭が熱かった。金曜日に隣の席の先輩を見ると私と同じように頭を抱えていた。日曜日まで熱っぽさが続いた。おかげで先週の半分がつぶれてしまった。幸いにも頭痛と熱っぽさ以外はまったく症状が出なかった。とはいえテイクアウト週間は止めることにした。おいしくないし。ドミノピザを注文して食べた。あとは冷蔵庫に残っていたトマトとかぼちゃを電子レンジでチンして卵とチーズとしょうゆとオリーブオイルで味付けをする謎の料理を食べた。謎の味がした。

あとは詩を投稿したぐらいだ。今日と先週の土曜日で6篇を投稿した。頭痛を癒すためにカフェイン漬けにして眠れなくなった夜に他の創作も進んだ。30日からの創作黄金週間に備えていく。
 
これは2020年4月28日に書いた。


在宅勤務をすることになった。週に1回。勤務というより自宅待機だ。なにもしない。なにもできない。みんなでローテーションして週に1回なにもしない日を作る。10万円も一律でもらえそうだ。1週間で状況が目まぐるしく変わる。「これを買えばヒマを5年はつぶせる」と思えるものをたくさん買おう。サイトのコンテンツを増やせるものを。

サイトのコンテンツの話。イラストページを更新した。過去分。イラスト系のサーチエンジンにサイトを登録するという崇高な目標のためにコンテンツを増やしている。現時点で公開できそうなものはすべて公開した。あとは新規に一枚絵を3枚ぐらい描いて「2020年のイラスト」として公開すればサーチの利用者をガッカリさせない量になるだろう。ガッカリさせない質も確保していきたい。

先週は人生初のシチューを作った。具はたまねぎ。にんじん。かぼちゃ。じゃがいも。そして牛肉。キッチンバサミでカットして電子レンジで煮込んだ。さらさら野菜スープになった。最後の4皿目にはスープすら残っていなくてシチュー味の野菜と肉だけになった。野菜を入れる量が多すぎるんだろうか? じゃがいもを電子レンジでチンして柔らかくしたものに塩コショウとマヨネーズとチーズを和えた料理も作った。なんの味がしなかった。新型肺炎なのかもしれない。新型肺炎といえばテイクアウトを始める店が増えた。飲食店を支援しようと善意からテイクアウト強化週間をスタートして先週は4軒を回った。感想は「同じ店に足を運ぶことは二度とない」だった。マズイ。どこもマズイ。そのまま潰れてしまったほうが世の中のためになるぐらいマズイ。容器代も加算しているからかマズイわりに高い。テイクアウトに不慣れなために完全体を提供できていないのかもしれない。お洒落な店内で食べるとおいしく感じるのかもしれない。それにしたって支援する気持ちが萎えた。初めて作ったさらさらカレーやさらさらシチューのほうがまだおいしい。

サイトのコンテンツの話2。今年はめずらしくゴールデンウィークの休日出勤がなさそうだ。まだ確定していない。配られたスケジュールを見るかぎり私の出勤はなかった。なにもしない在宅勤務もある。新型肺炎のことを考えると外出もできない。だから2020年のゴールデンウィークは創作黄金週間にすると決めた。4月30日から5月6日まで何かを毎日更新する。余力があれば29日も。何かはすでに決めていて準備に取り掛かっている。自信がない。もし完成しなさそうだったら即興小説を書いてごまかすことにする。

これは2020年4月21日に書いた。


小説が完成しない。並行して書いていることが明らかに影響しているがどうしようもならない。たぶん完成するときは同時期に完成するだろう。短編小説についてはコンテストに出すことを諦めた。些末に囚われていると長編が書けない。少なくとも私はそうだ。先週も詩の投稿をした。やはり印刷して郵送する作業は楽しい。コンテストや懸賞に応募する趣味の原点だ。短編小説を応募できるコンテストはだいたいWeb受付だ。郵送もできるかもしれないがWebで応募できるのに郵送をすると双方が損をするだろう。印刷して応募できるコンテストに向けて書くことを思えばやる気が出るはずだ。「やる気なんてものはない」と人は言う。やりはじめてから熱中するものだと。科学的にそう証明されていると……科学的にそう証明されていると知った瞬間に「自分という人間はそういう仕組みで動くんだ」と考えられる人間は本当に私と同じ人間なのだろうか? そもそも科学的であることを大事にする理由がわからない。実験に立ち会ったわけでもない以上はただの信頼であり信仰だ。再現性はあるのか。それはそもそも適切な実験だったのか。あとで覆されるのなら水に「ありがとう」と言う疑似科学と同じではないか。水素水をバカにする人間が新書に書いてあることやネットニュースで流れてきた脳科学だか心理学だかは素直に信じるのはどうしてだろう。私は己の感覚を信じる。子どものときは血液型占いが流行っていたが「そんなものはありえない」と思っていた。今では科学的根拠がないとされている。だいたいそうだった。これからもだいたいそうだろう。人間はそうであってほしいと思うことをそうだと言い切るために科学を利用しているのだという疑いさえ持てば凡人の生活に科学の素養なんていらない。「やる気」はある。始めることはコストを「感じ」なければ動機がなくてもできる。コストを感じても動機があれば感じなくなる。私には動機というものがほとんどないに等しい。これは前に「モチベーション問題」として書いた。しかし多くの物事にコストを感じないため始めることはできる。始めても続けることができない。なぜなら「やる気」が……ここまで書いて気づいたがコストを感じないのなら途中で止めても損をしない。そっかー。学校だって面倒だったけどきちんと行ってたし会社も辞めてないもんな。損をするから。損をしないからかー。だからすぐに止めるのかー。えー。えー。でも好きなことで「ここで止めたら損する」と考える人生もきっと損か。そうすると「やる気」なんて関係ないな。はい。「やる気」は感覚的にも存在しません。終わり。

先週は人生初のカレーを作った。実際には自然教室などで作ったことがある。ほとんど手伝わなかったが。私は料理ができない。母親とお菓子作りをしたことはある。でも料理はない。料理は作ってもらうものという感覚がある。包丁なんて使いたくない。今回のカレーもキッチンバサミでニンジンの皮を剝いてカットした。指に痣ができた。火も使いたくない。電子レンジ調理。カボチャの白っぽいところがカビではないか気になる。たまねぎを切っても涙はでない。トマトを入れすぎた。なんの肉を入れるか忘れておそらく定番であろう牛肉が500円。カレー屋さんでカレーを食べたほうが経済的かつ美味い気がする。いくらチンしてもスープはさらさらとしている。甘口のルー。おいしかった。4食分。この調子で料理を覚えていきたい。包丁を覚えるつもりはない。

善良な市民だから不要不急の外出はしなかった。平日の休みに詩のコンテストの布石として定額小為替を購入したのと映画館に行ったのみ。緊急事態宣言が発令されるとのことでしばらく上映がなくなると踏んで『ミッドサマー』を観た。片手で数えられる人数だ。周囲もガラ空き。この状況で映画を観に行く人たちだけあって観客のマナーはよくなかった。これからは仕事でもないのに外でうろついている人間はろくでもない人間だけになるだろう。違う意味で家に引きこもっていたほうがよい。そして新しいヘッドフォンを買った。前に使っていたヘッドフォンの左耳は踏ん付けたせいで外れていた。せっかくテープでくっつけても片耳しか聴こえないときもあった。SuperluxのHD681を購入したことでまずわかったことはときどき片耳しか聴こえないのはPC側の接触不良だということ。クソゴミカスWindows10パソコン。今まで富士通のデスクトップパソコンや一体型を使ってきたのにドスパラに手を出したのが運の尽きだった。windows7はPhotoshopElementsとえもふりとRen’pyと動画サイトとEvernoteとWordを同時に起動しながら一週間ぐらい再起動をしなくても利用できたのに今のパソコンでそれは出来ない。すべての挙動がおかしくなる。新しいPhotoshopElementsはトリミング機能を使うたびに自動でトリミングの範囲を決めてくれるという無意味な新機能によって時間がムダに掛かる。Escキーを押して処理をキャンセルしないといけない。音楽を流したままPCを8時間ほど放置するとWindowsのコピー&ペースト機能が利かなくなりファイルの名前を変更しようとすると「をててててまままま」になる。「やる気」が失われる。しかし良いヘッドフォンだ。私にヘッドフォンの良し悪しはわからないが。音がよく聴こえる。今まで使っていたヘッドフォンは音量を3にしても小さく聴こえた。今は3にしていると少し大きい。試しに私がむかし作ったBGMを聴いてみた。前のヘッドフォンと変わらないショボさだった。ショボいものはどんなに道具を良くしてもショボいままであるということ。「楽しめないのは素養がないからだ」のカウンターパンチにしていきたい。

これは2020年4月14日に書いた。


緊急事態宣言が発令されたらしい。私にはあまり関係のないことだ。仕事はインフラ関連だから休めない。テレワークもおそらくできない。30万円も貰えない。手取り15万円だから。広島にいたときは13万円だったから。生活はなにも変わらない。

先々週のこと。クラウドファンディングのプロジェクト「休校の影響で乳を捨てたくない!飛騨産・美味しい乳製品をたくさんの方に届けたい!」からリターンが届いた。牛乳2本とのむヨーグルトとヨーグルトとモッツァレラチーズ。どれもおいしかった。モッツァレラチーズは先週になってカプレーゼに使った。レシピによればトマトを切らないといけない。しかし私はまったく料理したことがない。包丁を握ったことすらほとんどない。調理自習や脅すのに利用したぐらいだ。そもそも引っ越しの段ボールから包丁が見当たらない。だからキッチンバサミを購入した。料理を乗せるための大きなガラス皿も。出来上がったトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼは悪くない味だった。料理も悪くない。

先週の外出も悪くない。必要不急の外出だった。たとえば2月から予約していた「コンペイトウミュージアム」での金平糖手作り体験。新型肺炎の影響で貸切での体験となった。気まずかったが楽しかった。帰りには「タロコーヒー」に寄ってたまごサンドを食べた。たまごサンドは人生に必要だ。それとコンテストに詩を応募するのに郵便局に行ったついでに散歩をしてケーキ屋を2軒回った。詩を書くことは私の夢でありコンテストは必要至急だ。あとはきちんと自粛した。悪くない。

小説のコンテストにまったく小説を応募できないことも悪くないと言いたいところだがやはり悪い。コンテストに向けて小説を完成させないとサイトのコンテンツが増えない。更新できない。応募締切なしに作品を完成させられないから。そして応募締切があっても作品を完成させられないから。悪い。ここ半年ぐらい理由を考えている。「やりたいことがたくさんありすぎるから」「書きたいものがたくさんありすぎるから」が有力視されていた。だが最近になって違う考えが浮上した。

「小説を書くこと自体が面白くない」

たとえばイラストを描くとしよう。線は思いどおりに引けない。プロなら違うかもしれないがアマチュアである私は少なくともそうだ。色も想定していたのとまったく違うように作用する。1ドットのずれが違う表情を作る。小説を書くとしよう。タイピングで打ちこんだ文字は打ちこんだ文字だ。頭からそっくりそのまま取りだした文字だ。誤字脱字をすることはある。それは単純なミスだ。タイプミスか頭が間違えていたか。改めて考えてみると私は空しくなってくる。イラストには想像を描き起こすだけの行為の楽しみがあっても小説にはそれがない。私にとって小説を書くことは議事録を取ることに近い。工夫が足りないからそう感じるかもしれない。いや私は工夫をしている方だ。たぶん。文体や語彙などは作品毎にコントロールしているつもりだ。つねに他のものを描こうという意識もある。でもその意識こそが問題だという気がしてきた。意識にあることを起こしているだけだという意識が私を憂鬱にさせるのだ。シュルレアリスムの技法に学ぶべきか。むしろ学ばないべきか。図書館で本を借りて勉強したいところだがそれは許されない状況だ。なにせ新型肺炎で休館中……なのもあるが貸出期限の過ぎた本をまだ返却していない。コンテストに向けて小説を書いている場合ではなかった。

これは2020年4月7日に書いた。


4月に合わせて更新しようとしたら先週から何をやっていたのか忘れた。とりあえず小説のコンテストに向けて小説を書かなかったことは確かだ。最初に設定した目標を一つも達成できないような気がしてきた。がんばれ4月。がんばれ26歳。

新型肺炎について。とても頭がいいなと思わされる方がつねに慎重な意見を述べ続けており安心した。また知識をひけらかしてはいるが頭は大してよくないなと思わされる東京住みの人が小池百合子の記者会見のすぐあとに3連休に撮った地方旅行の写真を投稿していたからやはり安心した。さらに外出自粛要請が出た週末も当然のように外出していたからもはや嬉しくなってきた。災害や緊急事態においては見えてこないものが見えてくる。しかしそれは注意深く観察さえすればふだんから露出しているものだ。愚かな人間はいつもどんなときも一生をもって愚かなのである。私も愚かな人間だ。何かをしたい何かをやりたい何かを食べたい何かをほしいという気持ちを抑えられたためしがない。もう26歳なのに己の欲望を制御できないなんて人として恥ずかしい。先週もうどんを食べたくなって「ひだりうま」に行った。列ができるぐらい有名な店だ。おいちい牡蠣がごろごろ入っていた。散歩して公園にも行った。公園には桜が咲いていた。背のばしベンチでからだを伸ばして青空と桜を見た。帰りには知らないパン屋に寄った。そして今週も――それは来週の雑記に書くとしよう。

3月末に詩を投稿した。3月から詩をはじめて一か月で11篇を作ったことになる。一般的に多いか少ないかわからない。一般的に詩なんて作らないだろうし。作る人たちからみるとまだまだだろう。まずは量をこなさないと上達しない。思いついたことはなんでも書いていきたい。

それと今週になってサイトを更新した。「イラスト」「エッセイ」の一覧ページを作成している。「エッセイ」は今まで作ったページのリンク集だ。「イラスト」は新規のコンテンツを公開している。新規と言っても過去に描いたイラストだけだ。一覧ページを作ったからには「イラスト」も「エッセイ」も積極的に更新していこうと思う。イラストは人体を練習したい。人体がわからない。人体以外はわかるのかというとわからない。小中学生のときに風景画やよくわからないイメージ画で賞をとっていたが完全に塗りのおかげだった。デッサンはトイレットペーパーばかり描いていた。1年後にはHなCG集をDL販売して100DLされるぐらいの腕前になりたい。

もう30代も間近ということで26歳になってからやりたいことを考えていた。26歳にならずともやりたいことについてはいつも考えては疲弊している。やりたいことが多すぎる。しかし「30歳までには一通りはやっておこう」とは思った。なんでも。ここ一年ぐらいで急に思いはじめたことだ。小中学生のときに私たちは学校であらゆることを経験させられてきた。家の事情や方針によってできないことやらないことをやってきた。この世にはたくさんいるだろう。修学旅行でしか県外に出たことのない人。家庭科でしか裁縫したこともない。はんだこてを握ったのはあの日以来。観劇なんて。スキーなんて。そういう人たちが。でも一度は経験した。だから知ることができるし知っていれば調べることができるしもう一度始めることができる。最初から知ることができなければ始めることもできない。人はいつ死ぬかわからないがいつ死んでもよいように挑戦していかないといけない。明日死ぬとわかっていて得意なことだけをするのと60年後も生きているかもしれないのに得意なことだけをするのは違う。嫌いかもしれないことや好きになるかどうかわからないことも始めてみること。気にくわないならすぐ止めればいいだけだ。子どものときの私もそうやって親に新しい趣味の道具を揃えさせてはすぐに飽きて止めた。当時もやりたいことがたくさんあった……私は一生やりたいことの奴隷なのか? それにしては不思議なことだ。そこから自由になりたいとまったく思わないのだ。

これは2020年4月1日に書いた。


26歳になった。お祝いに「プチフランス」でおいちいケーキを買って食べた。誕生日プレゼントではないが明日には楽しみにしている荷物が届く。いいスタートだ。25歳の最終日は雑誌に詩を投稿できた。いい終わりだ。

先週にも書いたボケの話。また仕事でミスをした。納品物を違う場所に発送した。言い訳はある。伝票は仕切り兼ラベルによって整理されていた。本来ならラベルはその奥にある伝票と対応していた。ラベルの手前にある伝票を取った。おしまい。最近のミスに共通することは「しっかりと文章を読んでいれば」起こりえないということだ。本気で若年性認知症を疑っている。私はふだんから運動もしないし食生活もデタラメだし人とも話さないし意識が低いし頭を働かせない。ボケるために生きているようなものだ。それと視力がかなり低下しているとも感じている。先月までは眼鏡を必要としなかった作業で急に眼鏡を必要とするようになった。いや思えば先月も眼鏡を少し使った。先々月まではいらなかったのに。早急に対策を練らないといけないと思って百ます計算の本と読むだけで視力がよくなる本を購入した。購入ボタンをクリックしたときに「もうボケているのではないか」とよぎった。

そんなボケにも3連休。多くの人が外出していた。私もそうだ。たとえば死んだように昼寝をしてから「パン工房シャルドン」に行った。有名なパン屋らしい。店が閉まる20分前に行ったの色々なパンがあった。それから帰り道にもパン屋に寄った。風が強くて自転車で坂を下りるときは本当に気持ちよかった。京都にも行った。たまごサンドを食べるために。「渉成園」で3本しか咲いていない桜を見た後で4店を回るつもりが「喫茶アマゾン」「喫茶ガボール」の2店でおなかいっぱいになった。「喫茶ガボール」のたまごサンドはコンビニのたまごサンドを4つ並べて1皿にしたようなボリュームだった。つらかった。そのまま歩いて京都御苑に。京都御所を見学してから近衛兵跡にあるしだれ桜を見て帰った。

しかし愚かなことをしたと思う。外出の話だ。本当なら自粛するべきだった。いくら天気がよくても。いくら屋外でも。この文章のおわりに書くある理由でどうしても外出するしかなかったのだ。ところで5月にはコミックマーケットが開催される。たくさんの人が集まる大きなイベントだ。東京に住んでいたときに2回だけ行った。どちらも冬で午後から行った。それでもすごい混雑だった。会場だけではなくて通路まで人がたくさんいた。電車も混んでいた。朝にはもっといるのだろう。今年のコミックマーケットはまだ中止になっていない。でも抽選によって出展できることが決まった当日に「辞退します」と宣言した人たちを見かけた。英断だと思った。開催が2か月も先なら今のような新型肺炎による自粛をしなくてもよい状況になっているかもしれないし気温の変化によって新型肺炎が流行らなくなるかもしれない……と考える人たちもいただろう。しかし彼らはそうは考えなかった。本当にかしこい。頭がいい。知能が高い。利口だ。偉い。素晴らしい。優しい。思いやりがある。大事にできる家族や友人や仲間がいる。真っ当な社会人。人格者。よい人間だ。私はずっと記憶するだろう。彼らがきちんと考えて真っ先に辞退を表明したことを。どんなにバカげたものを作っても「この人は事態を楽観視しなかった聡い人間なんだ」と思い出すだろう。一生忘れないだろう。好きな人が辞退を表明してさらに好きになった。本当はそうしたいのに状況を見るにそうできない――しかし他の人間は状況の判断ができなくてしたいことをしている。それでも耐え忍んでいる彼らに言いたい。あなたがたは本当に美しい。強い自制心をもった人間に私は小学生のころから憧れていた気がする。自信をもってほしい。勇気とはそういう意味であるから。勇敢とはそのような態度であるから。賢者とはあなたがたのことであるから。

話は変わらないようで変わる。ここ数年「外出した」「遠出した」といった達成感によって何もできないまま人生が終わってしまうのではないかと考えることがある。たとえばやりたいことがある。でもそのやりたいことを成し遂げるには時間がかかる。その時間のなかでは達成感を得られない。だから「気分転換」や「息抜き」で出かけるとする。外出は金と時間があればどんな無能にもできるし努力の必要もない。失敗することもそうない。確実に「何かをした」という満足感を得られる。その満足感に負けてやりたいことがおざなりになってくる。やりたいことがない人間ならなおさらだろう。「何かをした」だからよい一日だった。でもそれが千日だったら? 一万日だったら? よいことの連続がよいことだとは限らない。本当に一番うれしいことはやりたいことをやれたときだ。「とりあえず動いた」から「時間を無駄にしなかった」ことが人生の一番の功績になってはならない。何かをしなくちゃという焦燥感はやりたいことのために使うべきだ。やりたいことをやれていない。やるべきことをやっていない。それで「息抜き」なんて笑わせる。すぐにできることに逃げるな。そうは思うが外出でもしないと運動もしないし遠いところを見ることができない。ボケと視力低下が進行する。26歳になった。

これは2020年3月24日に書いた。


この絶望を全人類に分け与えてやりたい。コンテストに向けて詩を書いていた。先週中に応募するつもりで完成させた。しかし募集要項を改めて確認すると枚数制限をオーバーしていることに気づいた。全体をあえて冗長にすることでいかに心地よい瞬間であったのかを描写する構成をとっていた。短くできない。応募できない。さらに翌月まで発行されないと思っていた『詩と思想』の最新号がすでに発売されていたと知った。amazonで予約注文をしようと開いたページが2019の4月号で気づいた。『詩と思想』の最新号はamazonでもヨドバシ.comでもhontoでも購入できない。だから先週の土日は書店を巡ることになった。「TSUTAYA BOOK STORE」「MARUZEN & ジュンク堂書店」「TSUTAYA BOOKSTORE」「紀伊國屋書店」と行って最後の紀伊國屋でゲットした。カフェにも行って2日連続でパンケーキを食べた。「Eggs ‘n Things」と「星乃珈琲店」。「Eggs ‘n Things」では隣のテーブルで3人の女の子が取り分けて食べていたパンケーキを一人で食べた。パンケーキの上にあるクリームが誇張表現でもなく山になっていた。山のようにではなく。クリームの山。「星乃珈琲店」ではチーズオムライスとセットの小さなパンケーキを食べた。表面がカリカリとしていてシロップとよく合った。リラックマのショップにも行った。リラックマがソファになっていた。婉曲表現でもなくソファになっていた。ソファのリラックマ。とにかく雑誌を買うために安らかな休日が潰れた。

それにしても最近はミスが目立つ。

・2月の初めにコンテストの締切を2つ間違えた
・ここ2か月で10回はメールでミスをしている
・募集要項の枚数制限を誤認した
・最新号が発売されないと勘違いしていた

列挙するだけでも病気としか思えない。どれもつい最近のことで以前はなかったことだ。今週の月曜の朝になってCcに入れるべき宛先を件名に入れて送信したことに気づいた私はいよいよ恐怖状態に陥った。

・少し前に風邪になってから異常をきたした?
・若年性認知症?
・読書量が減って文章を読む力が衰えている?
・視力が低下した?

何が原因かわからないが何が原因でも危ない気がする。とりあえず本を読みつつ手を動かしてリラックマストアで買ったセンチメンタルサーカスのノートに文章を書きうつすトレーニングを始めた。視力は……視力は……仕事中に遠いところを見つめるとする。

これは2020年3月17日に書いた。


なんかもうずっとコロナ。休日に散歩をするとすれ違う人が咳をしている。スーパーで買い物をしに行くと小さな子どもが咳をしている。職場でも体調の悪そうな人がいる。ニュースのせいで目につくだけなのかみんな少しずつ侵されているのかわからない。たぶん花粉症だろう。

「詩人を目指す」

先週は人生ではじめて詩を投稿した。プリンターを段ボールから取り出して設置して詰め替えインクを探して入れてクリーニングを何回もしてようやく印刷できた。疲れた。今は詩のコンテストに向けて1篇を書いている。たぶん今週中に応募する。小説も書いている。やはり今週中に1作は完成させたい。もう1年の4分の1である3月の3分の1になろうとしている。誕生日も近づいている。もうすぐで26歳になる。25歳のうちに完成させたい話がある。しかし26歳のうちに完成させてもいい話なので頑張るか悩む。頑張るか悩むって最低な人間の発想。

これは2020年3月9日に書いた。


中止になるだろうと思いつつもチケットを購入したR-1ぐらんぷりの敗者復活戦ライブビューイングがやはり中止になった。仕方ない。今は外出を避けるべきだ。そうだとわかっていても「ゴッホ展」に行ってしまった。あとで行こうと思っていた展覧会「インポッシブル・アーキテクチャー」が新型肺炎の影響で中止になってしまったからだ。行くことを先延ばしにするうちに「ゴッホ展」も中止になってしまうかもしれない。実際3日になって4日から15日までの休館が決まった。そういうわけで日曜日は「ゴッホ展」に行って画集とぬいぐるみを買って三ノ宮に行きエスタシオンカフェで死ぬほど熱いたまごサンドを食べて元町に行って「パンやきどころ RIKI」に並んでパンを買い南京町を眺めながら三ノ宮駅まで帰る途中で「神戸ノート」を購入しパンを買って帰った。まだ2回しか行ったことがないのに神戸はすごくいいところだと思った。かわいいマンホールがたくさんある。

そして先週にも書いていた本当にやりたいことを始めた。

「詩人を目指す」

詩を書いている。最近になって小説の執筆にスランプを感じているから――ではない。自作小説はあくまでコンテスト応募と連動している。私にとってそれらは趣味だ。詩人になることは夢だ。子どものころに私は窓際会社員になりたいと思った。そしてなった。今度は詩人になろうと思った。詩人になるためにこれからは詩も書く。良い詩を書くために勉強する。たとえば漢検を受けようと考えている。多くの言葉を知ることが表現のゆたかさにつながるからだ。「神戸ノート」はもちろん百字練習帳をチョイスした。

これは2020年3月3日に書いた。


毎月なにかを更新したいと思っているが現実はむずかしい。この雑記をコンテンツとして考えるなら1週間に1回は更新していることになる。だが読点もないようなこの無気力なテキストが一体なんのコンテンツになるというのか。

いろいろとあった。今週末のウォーキング大会がコロナの影響で中止になったこと。通信大学の入学を秋以降にすると決めたこと。これで直近の重荷がなくなった。そして先週は月曜日から日曜日までおやすみが4回もあった。人類は週休4日制に移行するべきだと思う。ひたすらに幸福な一週間だった。映画館で『1917 命をかけた伝令』を観たし造幣局の見学に行ったし大阪城に行って梅園と天守閣を見たし「ザ・コナモン・バル 利休」でタコ焼きみたいに1皿に何枚もあるミニお好み焼きを食べたし「おいで」ですごくおいしいたまごサンドを食べたし「mog」のパンケーキを食べたし「R-1ぐらんぷり2020」の準決勝を見たし「サンシャイン」ですごくおいしいモーニングを食べたし神戸市立王子動物園で笹をむさぼるパンダを見たし「パルテンツァ」でプレーンのチーズケーキを買ったし生田神社に行ったし「トミーズ」「イスズベーカリー」「フロイン堂」「ケルン」でパンを買ったし家に帰ってからふるさと納税の返礼品として「トロイカ」のチーズケーキが届いたし洗濯物はきちんと乾いたし土日は何もせずにごろごろとしていられた。さらに今週の月曜日は祝日だった。下鴨神社で梅を見て水みくじをやって「加茂みたらし茶屋」に並んでみたらし団子を食べて旧三井家下鴨別邸に行って「コーヒーハウスマキ」で和風味のたまごサンドを食べて「出町ふたば」に並んで豆餅を5つ買って「エスブルー」のパンを買って京都御所の梅林に行って護王神社でイノシシの像を見てだいぶ遅れてやってきたバスに乗って北野天満宮に行って梅を見て白い服の人たちが並んで何かをしているところを近くで見てさあいよいよ梅苑に行くぞと思ったら16時締切。そのとき16時7分。なんなら梅苑を楽しみに京都まで来たのに。バスが遅れたせいで……2回もお店に並んだせいで……狭い3Fで眺望を見せられるだけで何の説明もなしに特別料金を請求された旧三井家下鴨別邸に行かなければ……ふてくされてバスに乗って京都駅で「イノダコーヒ」でたまごサンドを食べて「志津屋」でたまごサンドを買って帰った。

ところでつい数日前に叔父が死んだらしい。彼の年齢は知らない。私の父が50歳か51歳であることを考えると40代だろう。父は三兄弟だが死んだ次男だけ顔が似ていなかった。死因は知らない。父の父つまり祖父は病気で喉をやられて喋れなくなってしばらくして死んだ。何歳だったかは知らない。でも祖母や母方の祖父母は健在だから早いうちに死んだのかもしれない。死んだ叔父には子どもが二人いた。私が知らないだけで三人や四人いたかもしれないが。たぶん今はまだ小学生だろう。中学生かもしれない。幼くして親が片方だけになるのはどういう気持ちなのだろう。片親に偏見はない。しかしイヤな思い出に片親が関わってくる割合が異常に高い。私にイヤな絡みかたをしてくる人で片親・精神病・元いじめられっ子のいずれかでない人はなかなかいない。今のところ。生きているうちにその割合も低くなるかもしれない。とにかく彼らはどうなるのだろう。すべて叔父の死に方によるだろう。父親が自殺したらしい部活の先輩には一風変わったところがあった。私も思春期に両親が自殺したら悩んだだろう。自殺は遺伝すると聞いたことがある。それは精神病が遺伝するからではないかと思うのだが「私も途中で自殺するかもしれない」と考えると人生の指針が変わってゆくだろう。病死であれば一時は精神的ショックを受けるかもしれないが立ち直ることができるだろう。彼らは祖父の葬式にも来ていたのだ。人が死ぬことは知っているはずだ。多くの病死は本人や家族が経過を把握しているというのもある。事故死だったら辛いだろう。事故死はもしかしたら死ななかったのかもしれないのだ。すごく悲しくなる。涙が出てくる。死んだことはもう覆せないので叔父の死が自殺と事故死と殺人のどれでもないことを祈る。

そして私は改めて先延ばしが害悪であることを発見した。100年計画と人は言う。60代80代を見据えてと言う。老後にゆたかな暮らしをできるようにと言う。でも人は40代でも死ぬ。30代でも20代でも死ぬ。私が10代のうちに死ななかったのは奇跡である。いくら統計的に10代のうちに死ぬ人間の方が少ないとしても。だれもが昨日死ぬかもしれなかったのに昨日死ななかったのだ。単純に生死の話だけではない。たとえば機能が働かなくなること。私は20歳か19歳のときに『ネタバレゾナンス』的な状況に陥ったことがある。「見えるものがすべて見えているために何も見えない」状況である。高次脳機能障害で実際にありそうな症状だ。健康状態の人間に説明するのにはむずかしい。イラストを描くときに奥にあるものをぼかしたり余計なものをそぎ落としたりするテクニックがある。画面の情報が減って主題が見やすくなる。私が陥った状況ではすべてのものが同じぐらいに存在していた。確かにすべてのものは同じぐらいに存在しているのだが人間はそれだと何も認識できない。もちろんすぐに回復した。このようなことは頭をぶつけることでおそらく誰にでも起こりうる。機能を失うだけではなく病になることや五体満足でいられないこともあるし精神が病むことだってありうる。生きているかぎり。生の前提が覆されることもある。たとえば女の権利が男と同様に認められることでインターネットでは「女尊男卑」なんて表現もでてきている。これが数十年前はおそらくそうではなかった。そして数十年前に生きていた人たちは今も生きている可能性が高いのだが数十年前のようには生きていけない。男尊女卑だからこそ生きていけた人たちが生きづらさを感じるようになるわけだ。何にでも言える。同性愛をバカにすることでしか人との連帯を保てなかった人間は現代の感覚では相応に批判されるが当時はその反応が相応でなかったわけだ。さらに追い打ちをかけるように現代の感覚に適応できない人間は安直に「旧い」「空気が読めない」「アップデートできてない」と自己責任論で叱責される。しかし自分のもつ価値観が単に一時代の流行を内面化したものにすぎないと何人が割り切ることができるだろう? 今が生きやすいからと言って未来が生きやすいとは限らない。極めつけに環境の問題がある。まず良い友や良い上司や良い親や良い伴侶がいつまでも良いものとは限らない。死の可能性もあるし脳が壊れて人格が変わることもあるし壊れてなくても態度が変わることはいくらでもある。次に災害である。災害は衣食住を困難にするだけではなく経済的にも打撃を与える。最近の新型肺炎もそうだ。地球環境もそう。いつまでも人間にとって住みやすい環境であることを地球は約束してくれない。これらは特別に悲観的なものの考え方ではない。少なくとも私はいくらでもこんなことを思いつけるがこの頃はたまごサンドを食べることにハマっている。私が悲観的に考えることはやりたいことのうち優先度の低いやりたいことを先に消化して本当にやりたいことがやれないまま終わってしまうことだ。旧三井家下鴨別邸に行ったせいで梅苑を見られなかったように。

だから私は通信大学の入学を秋以降に伸ばした。それより先にしたいことがあるからだ。じつは去年の11月ぐらいから優先してやりたいと思うことができた。今週中に一歩を踏み出すつもりだ。今週中に死ななければ来週のうちにページを増やしてリンクを貼る。

これは2020年2月26日に書いた。


もう小説を書けないかもしれない。2月20日の締切に向けて小説を一文も書こうともしなかった。一文字も書かなかった。最近はずっと寝るか外出するかのどちらかだ。仕事で緊張状態の続く1週間だったせいか先週の土日は死んだように眠っていた。土曜日は一歩も外に出ずDominoピザでLサイズピザを注文して1日かけて食べた。日曜日にある稲妻フェスティバルも行く予定だったが天気が悪かったのでパス。映画館に行くのも延期。祝日には京都に行って伏見稲荷大社と京都タワーと「ちびまる子ちゃん展」に行った。伏見稲荷大社では四ツ辻まで登って絶景を見た。筋肉痛になった。京都タワーでは京都タワーVRを楽しんだ。あと「京都 本家 第一旭本店」という有名なラーメン屋に並んでラーメンを食べた。おいしかった。金曜日はなんとか残業を回避してタイタンシネマライブへ。2018年12月から観ている。作りたいものがあってお笑いについて関心が出てきた。大阪に来たことだし2020年はもう少しお笑いをインプットしたい。シネマに行く前に「自由軒」という有名なカレー屋さんに行った。おいしかった。シネマに行った後は「純喫茶アメリカン」というこれまた有名な喫茶店に行った。卵サンドが900円もした。おいしかった。おみやげに「まったりプリン」を買って家に帰って食べた。おいしかった。おわり。

短編なら一日で完成させられそうな作品がいくつかある。しかし私は短編より長編を完結させたい。あまりにも完成させないために長編のストックが大変なことになっている。完成させられない理由をインターネットで調べると「完璧主義だから」と出てくる。完璧主義だから作り始めようともしないのだろうか。一文も書かないのか。何かが違う気がする。あいかわらずやらなければならないことが多い。まだ抽選で確定していないが4月にも予定を入れた。予定だけではなくタスクもある。やる気を出そうと思って小説の書き方について述べた本を図書館から借りて数冊読んだ。特に何も思わなかった。一文も書きはじめない人間に役に立つ情報はなかった。よく「1日1分でも良いから向き合え」と書かれている。やり始めたら勢いで続くものだと。何度も失敗したテクニックだ。1日1分でも良いから向き合おうとすると本当に1日1分しか向き合わない。

ところで今週の月曜日になってから咳が出るようになった。土日にたっぷり寝たのは何だったのか。思えばシネマライブでとなりの女が咳をしていた。マスクもせずに。ハンカチで押さえることなく。途中からマスクをしだした。なぜ最初からマスクしなかったのだろう。2020年になってから体調が万全の時がない。新型肺炎のニュースはいつも気にしている。そのくせ今日も予定を入れている。

これは2020年2月18日に書いた。


風邪は治ったが今週になってから頭痛がする。先週は映画館で『ロニートとエスティ』を観て本を7冊読了して市役所でマイナンバー関連の更新手続きを行ったぐらいで一つも無理しなかったのに。2020年になってから健康な日の方が少ないのではないか。しかし休んではいられない。今週は予定がある。そのうちの一つは平日の夜にあることで残業をすると間に合わない可能性が高い。今の部署では定時退社が常である。しかし特定の日には残業をしてでも決められた業務を終わらせないといけない。それで今週の月曜日は22時まで残業した。そして今の部署で残業になる理由の9割は一個人の努力ではどうにもならないことだ。だから祈るしかない。予定に間に合いますように。来週以降も予定を入れている。予定に合わせて有休を申請しないといけない。あと来週はコンテストの締切がある。それと新たなことを始めるために手続きもしなければならない。他にもいろいろとやりたいことがあるが列挙しようとすると吐き気がしてくる。思うにストレスで体調不良が続くのではないか?

やりたいことの一つにサイトの改装がある。これはずっと前からやるやると言ってやれていない。今のサイトにおいて直したい箇所がたくさんある。リンクとわからない画像リンク。スマートフォンにおいて一見してリンクとわからないテキストリンク。PCにおいてコンテンツを最後まで閲覧したあとにわざわざスクロールを上に戻さないと押下できないメニューリンク。Webの要はリンクのはずだ。異なる文書と文書をつなげる仕組みがひとりの人間でしかない私たちの世界を拡張した。リンクの分かりやすさを追求したい。また小説一覧ページも変更予定だ。こちらは近日中に。タイトル/公開日付/文字数のいずれかの項目でソートできるようにする。そして百合やBL要素があることを示す。タイトルを列挙しているだけの今より親切になるはずだ。問題は画面サイズが小さいスマートフォンでどのように表示させるかだが……やるべきことをやってから考えるとしよう。

これは2020年2月11日に書いた。


コンテストの締切を2つも間違えた。2020年のコンテスト応募は未だゼロ。きちんと締切を確認しておけばよかった。余裕があると勘違いして先週もろくに動かなかった。具体的にはボーリングに行った。映画館で『ジョジョ・ラビット』と『フォードvsフェラーリ』を観た。面白い本を読んだ。それだけ。風邪はまだ長引いている。だいぶ楽になったとはいえ。

それにしてもコンテストの締切を間違えるなんて。偶然にもPrimeReadingでなんとなく読んでみた『会社では教えてもらえない 仕事が速い人の手帳・メモのキホン』が私の悩みに答えた。この手の本――30分から1時間までに読了するビジネス書にしてはめずらしく参考にできることが書かれている。それは手帳に予定の何日前であるかを書くというテクニック。さっそくミスタードーナッツの福袋に入っていた手帳にコンテスト締切のカウントダウンを記入してみた。次に応募しようと決めているコンテストまですでに15日を切っていることがわかった。去年の12月ぐらいに知っておけばよかった。ちなみにこの本の読了時間は27分。単行本の定価を調べたら1540円。27分1540円。

これは2020年2月7日に書いた。


完全なる風邪。先週は兵庫にあるキユーピーの工場を見学した。楽しかった。春節祭にも行きたかった。しかし新型肺炎が怖かった。せっかく兵庫にまで来たのにと思いながら西宮駅に寄って「淡路島バーガー」に行き淡路島バーガーを食べて帰った。それと「PIXARのひみつ展」に行った。3Dをやりたくなる展覧会。あとはカフェでおいしい卵サンドを食べたりパンケーキを食べたり。良い金曜日と土曜日だった。予定していた映画は時間が合わなくて延期したが。これで日曜日に創作に没頭できたなら最高の週末だった。しかし風邪を引いた。最初は頭痛から来て喉の違和にくしゃみに鼻水。咳だけが出ていない。体調は日に日によくなっている。気がする。少なくとも気力は戻ってきた。日曜は仕事があるから土曜のうちに創作をしよう。そう言いながら映画の予約をしようとしている自分がいる。熱に浮かされているのだろうか?

これは2020年1月31日に書いた。


今週になって気を失うように寝ている。原因は不明。先週は外食外食外食外食外食ケーキ屋に行って『パラサイト 半地下の家族』を観て「Butter」と「belle-ville」でパンケーキを食べ「カラヴァッジョ展」「小畑健展」「ニフレル」に行った。外食外食外食外食ケーキ屋とニフレル以外はすべて日曜日の出来事だ。1日に2パンケーキも食んだことが強烈な睡眠欲の原因なのだろうか? 

金曜日に振休をとったから旅行しようかと考えたものの天気予報を見れば曇りと雨。とりあえず金曜日には予定を入れた。あと映画も観る予定だ。2020年は映画館と展覧会に行く回数を増やす。せっかく広島から大阪に異動になったのだし。そう考えると東京に居たときに何もしなかったのは惜しかった。だが東京でも広島でも妙に不便な場所に社宅があった。駅近とはいえ。だから遠出する気にはなれなかった。今はそこそこ良い場所に住んでいる。少なくとも外出が苦にならない場所に住んでいる。次はいつ転勤になるのかわからない。広島ではもう数年いられるだろうと余裕ぶっていたために中国地方で行きたかった場所に行き損ねた。北海道に転勤できたら生活を楽しんだあとで会社を辞めたい……気もするが未来のことはわからない。きっと景気は悪い。今の会社にしがみついていたほうが良いかもしれない。しかし年齢制限のあるアレをやってみたいという気持ちはある。北海道に行きたい。転勤チャンスがあるため北海道旅行を躊躇している。大阪も転勤の数か月前に出張を利用してブレジャーしたばかりだった。

ともあれ土日は空いている。行きたいイベントがあるため合わせて予定を入れるかもしれないが。そろそろコンテストに向けて1作を書き上げたい。

これは2020年1月23日に書いた。


モチベーション問題。2020年では「サーチエンジンに登録するために」コンテンツを増やそうと決めた。しかしこれはモチベーションになるのか。ふつうはおそらく次のように考える。

(作品を増やすことで)たくさんの人に知られたい
(知られることで)商業化したい
(商業化することで)名声を得たい

ところが私のモチベーションはこうだ。

(作品を完成させることで)コンテンツを増やしたい
(コンテンツを増やすことで)サーチエンジンに登録したい

私は会社員である。驚くべき安月給。ただし社宅にいる。仕事を辞めないかぎり住む場所には困らない。貯金は700万ほど。両親にこちらから連絡したことはない。それでも私が困窮したら彼らは救わずにはいられない。かわいい一人っ子だから。仮に助けてもらったとしても老後は見ないが。プライベートで介護をしなければならない人間はどんなに良いことがあっても不幸だ。生活は安定している。オリンピック後の不況にも耐えられるはずだ。何が言いたいのかといえば私には焦る理由がない。何も不足していない。創作で承認欲求を満たしたいという気持ちもない……小説家になろうで公開している短編小説のなかでアクセス数の突出しているタイトルがある。『クラスメイトが痴漢している女装男』。他の短編が10アクセスや50アクセスなのに対して1000アクセス以上ある。承認欲求を満たしたい人間なら成功例にしたがって煽情的なタイトルをつけたりシリーズ化したりする。だが私はそうしない。たとえタイトルに「痴漢」のワードを入れるだけでアクセスが増えると知っててもそうしない。そこまでして人に注目されたくない。みなの前で賞状を受け取ることが恥ずかしいという理由で同じ部活の違うチームに学校内表彰を譲ったこともある。中学のときに画で賞をもらっていた時期に考えたことは「作りたかったから作っただけなのに。もっと賞状を必要としている人間がいただろうにかわいそう」だった。私は気ままに創作したい。とはいえ余裕を保ってはいられない。作りたいタイトルがたくさんある。前にも書いたが150タイトル以上。でも動き出すことができない。頭の中に二桁のタイトルが同時に動いているが手は動かない。コンテストの締切当日にならないと。もちろん完成しない。まれに完成して23時50分ぐらいに提出する。でも圧倒的に完成しないことが多い。そして作りたいタイトルは日々の生活でいくらでも増える。

頑張りたいとはいつも思っている。だけど頑張れたことがない。高校3年生のときに私は勉強ができないのだと初めて気づいた。私は机に向かうことができない。受験勉強用の部屋を作ってこたつとパソコンを持ちこんでいた冬。何もかも諦めて公立の前期にしか出願しなかった。当然のように落ちた。部屋の片隅にパンフレットが落ちていたという理由で専門学校のゲーム学科に行った。3年も。親の仕送りで実家と同市内にある学校の近くに部屋を借りて一人暮らしした。一回でいいからバイトをやれと言われてやったバイトが年賀状の仕分け。プロフィールに趣味(資格・検定)と書いた。あれは専門学校で各試験2か月ほど勉強させられて合格しただけ。自宅勉強はまったくしていない。応用情報もセキュリティスペシャリストも。その専門学校に対して私はある負い目を感じている。卒業制作であるゲームに「あとでアップデートして完成させます」とネットワーク環境でアップデートできる機能をつけて卒業したが一切アップデートしなかった。未完成のまま卒業。縁を切りたい。そういうわけで通信大学のパンフレットを請求した。それと運動をしようと思ってウォーキング大会に申しこんだ。このように常に新しいことを始めようとはしている。本当に頑張りたい。だが「頑張りたい」以外に頑張りたい理由がない。

これは2020年1月17日に書いた。


2019年とはさっそく違う始まり方をしている。まずは福袋を買った。これからはミスタードーナッツの引換券とすき家のクーポン券を頼りに生きるつもりだ。3coinsのふわもこ福袋の中身もさっそく使っている。今は腹巻を巻いている。年末年始の休日出勤は1回。3日は神社の屋台で明石焼きを食べた。4日は行ったことのないスーパーに行った。面白いエロゲーもクリアーした。あとでまた書く。5日は喫茶店で朝食をとって海遊館からキャプテンラインでUSJに行き「せなけいこ展」を見た。USJはこれで2回目になる。ザ・フライング・ダイナソーとジュラシック・パーク・ザ・ライドに乗った。17時30分にあるクリスマスライブショー「クリスタルの約束」を見るために地面に座って四十五分ほど待った。寒さのためかiPhoneの電源が落ちて充電切れになってしまった。「せなけいこ展」では画集を買った。フォトコーナーで記念撮影できなくて残念だ。7日から東京に行った。8日と9日にある研修を受けるために。7日は振替休暇をとっていた。本当はゴッホ展にでも行くつもりだった。しかし体調不良で夕方までずっと寝込んでいた。惜しいことをした。

2019年と同じ始まり方もしている。応募したいと思っていたコンテストの締切にさっそく間に合わなかった。そのコンテストに参加するために短編小説の案を9タイトルも出した。1タイトルも完成しなかった。何度も同じことを繰りかえしている。理由はわかっている。やろうとしない。書こうとしない。締切の当日にならないとドキュメントを開かない。どうすればよいのか。完成できなかった9タイトルはレギュレーションに沿う要素のみならずテーマもきちんと練っている。だから他のコンテストにも出そうと思えば出せる。だが他のコンテストに出したいアイディアもまた複数タイトルある。それにもまだ手をつけていない。こうやって作品の未完成が続くとコンテンツが増えない。ではコンテンツを増やしたいというモチベーションだけで毎日作ることができるのか。むずかしい気がする。

これは2020年1月10日に書いた。


雑記を書く。もともとこのページは予定を書くページだった。しかし予定どおりに進まないことがほとんどなので止めた。

2019年は散々な年だった。作品は完成できない。設定した目標はろくに達成できない。本も130冊しか読まなかった。異常な事態だった。2018年は180冊を読んだので2019年は200冊は読もうと考えていた。むしろ50冊も読書量が減った。面白いと思える作品も当然のように減った。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『マノン・レスコー』『アメリカ』はよかった。『アメリカ』は『失踪者』のことだ。カフカの中長編はこれでだいたい読んだ。次点で『嫉妬』『城』も悪くなかった。アラン・ロブ=グリエも新しく読める数が減りつつある。2019年の最後に読んだのは『嘔吐』だった。高校生のときに『実存主義とは何か』『水入らず』を読んで以来になる。2020年はまだ何も読んでいない。まずは『セロトニン』を読む。ミシェル・ウエルベックも小説は『ランサローテ島』以外は読んだ。最初に読んだ『素粒子』以外ぱっとしないが惰性で読んでいる。本を読まないかわりに外出をした。2019年は月に2回の外出をノルマに設定していた。沖縄やセブ島でのシュノーケリングは楽しかった。ブラジリアンパークでバンジージャンプをしたことも。ナガシマスパーランドで朝から夕方まで遊んでなばなの里でイルミネーションを見たこと。USJでは年パスを購入した。すべて一人で行った。外出のことについてはエッセイとしてまとめるつもりだ。

2020年こそは長編小説を書きたい。しかし他にやりたいこともある。新しく始めたいこと。いろいろとある。積読や積ゲーもたまっている。作品のアイディアは残り150ある。そして増える。「コンテストに応募している」でも書いたが目標設定のやり方を変えることにした。「本を200冊は読む」「長編小説を3タイトルは完成させる」ではなく「あの本を読む」「あのタイトルを完成させる」という方法に。たとえば読書については次のように決めた。

転勤で読み損ねた『特性のない男』を図書館から借りて読むこと。
積んでいた『断崖』『デイヴィッド・コパフィールド』『神曲』『若き芸術家の肖像』を読むこと。
角川読み放題の無料期間中に山田悠介の作品を読めるだけ読むこと。

創作についても完成させたいタイトルを決めた。新しく始めたいことに関連するが小説以外も作るつもりだ。あらゆる種類のコンテンツを増やしたい。サーチエンジンに登録するために。小学生の時からサイトやブログを運営しては潰してきた。なのに25歳にもなって一度もサイトをサーチエンジンに登録したことがないのだ。

これは2020年1月2日に書いた。